「日本英学史学会中国・四国支部12月例会資料」
2015/01/18(Sun)
 鉄森さんからいただいた「日本英学史学会中国・四国支部12月例会資料」を読みました。
 この資料は、わたしにエキサイティングな一日をプレゼントしてくれました。
 2部ある中の「中濱万次郎が果たした教育的役割―開成所から開成学校を中心にして―」は、ジョン・万次郎で有名な中濱万次郎の一生と、かれの業績・人とのかかわりを知ることができます。
 十四歳にして乗っていた漁船が難破することによっていきなり英語圏での生活が始まります。頭脳明晰で、誰からも愛される人柄によって、広めた見識と知識、技術、資産、英語力を得て、9年後日本に帰ってきます。もちろんすんなり受け入れてもらえる日本の国情ではありません。しかし、諸外国からアプローチをうけ、鎖国が二百年以上続いた日本にとって彼の持っている見識と知識、技術、資産、英語力が捨て置かれるはずもなく、あらゆる方面での先駆的人物としての活躍を期待されるのです。日本の開花は、彼の活躍なくしては語れないことを改めて認識させられます。
 彼が、アメリカの桶屋で働いていたときのエピソードを読んだとき、きゅうに子どものころやはり『ジョン万次郎漂流記』を読んでいたんだと確信しました。わたしたちが子どものころは、『トムソーヤの冒険』などと同列に読んでいたのでした。中濱万次郎そのひとと、開花期の時代の流れの中での存在意義を、わたしが本当の意味で顕彰できた貴重な資料でした。
 もうひとつの資料「漱石とThe Loutus Library ⑷」は英文が多くてちんぷんかんぷんでした。それでも何とか資料製作者の意図する雰囲気を味わいたくて、岩波書店の『漱石全集』27巻の書き込みとあった部分から調べてみようと、我が家の全集から27巻を取り出して裏山に登りながら読むことにしました。この全集ではないようでしたが、山中ではもはやどうにもならないのをいいことに、明治22年からの書簡集をよみほうけ、何年かぶりに漱石の世界にはまりました。このプリントにもあるように漱石の蔵書の書き込みはおなじみで、私も真似て、子規への手紙から始まる本文初ページから書き込みを入れており、おもわず苦笑いでした。
 引き込まれていくうち、明治37年7月24日に、橋口貢(五葉のことだと思うけれど)に送った葉書で、「名画なる故三尺以内に近付くべからず。」と書き送っています。ところが次の日、「昨日君の所へ絵葉書を出したところ小童誤って切手を貼せず定めし御迷惑の事と存候然しご覧の通の名画故切手ぐらいの事は御勘弁ありたし 十銭で名画を得たり時鳥」と送っています。
 そこで私も一句。 書き込みて漱石きどるや時鳥
その内容が書評などではなく、漢字の読みであったり、意味であったりするのが悲しいところですが、こうして後々読むこともあれば、私的な漱石読解本として有効なので山道万歳!の読書です。この全集は当時、主婦兼学生で本も買いにいけない私のために岩崎文人先生が自分のと一緒に月々買ってきてくださった思い出の全集です。
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