『神国日本』
2015/02/23(Mon)
  昭和13年12月20日(戦時体制版)初刷2万部発行定価78銭、満州・朝鮮・台湾・樺太外地定価85銭、第一書房刊行、小泉八雲著 戸川秋骨訳『神国日本』を読みました。
 出版元の第一書房が15冊の図書を戦時体制版として昭和13年に、《思想・芸術・宗教等の文化の各方面に渉って、古今東西を通じて現代日本に最も緊要にして重大意義ある名著のみの普及を計るものであります。》 として、昭和2年に発刊されたものの刊末に、14ページこれら図書の解説を増補してあらたに発刊したものです。
 ついでに記すとそのなかの5冊「大地1部」・「大地2部」・「大地3部」・「風とともに去りぬ」
は確実に読んだ記憶があり、「石川啄木」は他の著者のものを、あまた読んでいるので、なんとなく読んだことにして、さらにこのたびの「神国日本」を読了したということです。
 日本人はこの島国で、鎖国による唯一無二の体制による価値観のなかで何世代も生きてきました。1854年に開国し、それから36年後の1890年に来日したラフカディオ・ハーンは日本語も話せないまま、いきなり、地方都市の松江中学で教師となり、貧しい中で懸命に学問に取り組む地方の子どもたちの英語教育に当たりました。彼にとっては、御伽噺のような不思議な国の、この子どもたちに接することから、日本の国への解明が始まります。
 日本の風物や民話をかたる作家として、あるいは新聞記者のレポートの目線で、欧米に12の作品を発信してゆきます。
来日して14年目、ハーンの生涯で最後の作品となるこの『神国日本』は、「黄金の国」日本に群がろうとする世界中の国々のなか、開国に当たっての国内の政変による幾多の戦乱や騒擾がつづくなか、そして貧しさのなか、自主独立を目指して、列強国との交渉・戦法・武器に耐える準備を模索研究し日清戦争から日露戦争へと懸命に耐え忍ぶ日本の歩みを目の当たりにし、このような日本人の精神を形成し支えているものは一体何なのか・・・・と、可能なかぎり日本についてレポートされている作品です。
 そしてさらに40年後の昭和20年、敗戦をむかえた日本に占領国軍司令部のマッカーサー元帥やその側近は、ラフカディオ・ハーンのこの『神国日本』を読みつくして来日したと言い伝えられています。まさに日本はこの作品に書かれてあることと全く変わっていなかったとの感想を持ったようです。
 それから70年がたち、私もこの本を手にすることができました。
 この本は、印刷にむらがあり、印刷の薄い部分は、目覚めた朝空けの明るさや、天井にはめ込んである明かりのところでは読めないのだと、半分くらい読んだときにやっと気づいたり、読めない漢字を調べるには手間がかかり、100ページくらい読んだときにやっと前後からの類推で読めるようになったり、文章の意味がわかりにくく、二度三度読み直してもわたしなりに理解できていない部分が多々あり読み進めない本でした。一気に読める章については、著作の時期、同居していた翻訳者戸川秋骨の資料提供により練り上げられた文章ではないかとも思えたのですが、この件については専門家の感想を待つしかありません
 ですが、日本という国についてこのように私に説明してくれたものがあったでしょうか。読書が「自分探しの作業」である部分があるとすれば、わたしはこの本を読みおえたら、もう自分はこれっきし本を読まなくてもいいと思える本でした。自分は日本人と日本を知るために生まれてきたのでしょうか。もうこれきり、いつ死んでもいいのではないかなどと思わされるところがある不思議な本でした。
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コメント
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『読書が「自分探しの作業」である部分があるとすれば、わたしはこの本を読みおえたら、もう自分はこれっきし本を読まなくてもいいと思える本でした。自分は日本人と日本を知るために生まれてきたのでしょうか。もうこれきり、いつ死んでもいいのではないかなどと思わされるところがある不思議な本でした。』

 すばらしい読書体験をなさったのですね。
私には未だにあかね様のように思える底深い読書体験はありませんが、心の底に深く降りてくる作家の魂を感じる時は、まれにあります。
あかね様の読書記録が私の衰えた読書へ向かう気持ちを強め励まして下さいます。少しでも良い本に巡り合いたいと思うこの頃になりました。

2015/02/24 18:23  | URL | みどり #-[ 編集]
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 こんな体験は初めてでした。
 こんなに読みにくい本もめったにありません。1日1ページの気持ちで読まなければ読めないと思える日もあったりしました。意味のわからないまま読んだところもありましたので戸川秋骨ではない人の訳のものが手に入ればとも思いますが、そうなると小泉八雲の伝えたかった意味と微妙に違ってくるのではないかと思えたりもします。
 なんといっても欧米の人を対象に書かれていて、わかりにくいところほど、欧米の学者の著書などを引用して説明してあったりします。とりあえずわかったつもりでの読了となりました。
 自分探しというのは、田舎で育ったせいだと思いますが、なんとなく妥協して生きてはいるけど、心のそこでは人には言えないような感情がある部分を、簡単に解き明かされてしまっていると感じたことでした。
 ですが夫もどんな部分かはわかりませんがそう感じたというのです。
 
2015/02/26 09:17  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
- ネット版で読み始めました -
「神国日本」を検索したら、ネット版がありました。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1038370
これと同じでしょうか。今夜は27ページまでですが、面白そうです。小泉八雲については、日本に帰化したことにより給料が下げられ、東大教授も解任されるなど、裏切られた幻滅感があったという説を、学習院の英文科で聞いたことがあります。
2015/03/17 23:39  | URL | 志村建世 #O94VIzx6[ 編集]
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 志村さんが読んでくださるとは、と、内心すごく興奮しています。
 私は2度目を今38ページまで詠みました。1日1ページと目標を下げて、読めない漢字は、IMEパッドで、読みを調べ、意味がわからないのは広辞苑、事柄のわからないのはインターネット検索でしらみつぶしにわからないことを調べてノートに記帳しているのですがそれでもわからないシールがたくさんといった始末です。
 解雇については、当時帝国大学には、お雇い外人教師が200人くらいいて、破格の給料が国家予算を圧迫していたので、日露戦争まえでもありますので、留学帰りの教師をつかい、出来るだけ自前で済ませようとの動きが大きかったという背景があり、ハーンはそのことも十分認識していたので、もともと給料は多いに越したことはありませんが、自分の方から帰化したのだから日本人としての給料でよいと伝えていたという前提がありました。ハーンのアメリカ・イギリス向けの本が売れに売れるという状況の中、コーネル大学などから連続20回の講義などの依頼もあり、1年間の賜暇を申請していたのに断られたた矢先、井上哲次郎大学長から無愛想な解雇通知が来たので激しく憤慨し、英文科の上級の学生たちが、退学の覚悟を表明して留任運動を起こしたので、事態の収拾にあたった親戚の法化大学長の梅謙二郎に井上学長まできて留任を求めたのですが、井上学長の言辞にハーンは憤慨して断ったようです。この後半部分については昨年出版された長谷川洋二著『八雲の妻』を参考に説明させていただいていますが、ほとんどの本が、このような説明です。漱石のものをこのことを念頭に読むと、いままで読んだときとはまるで違った感想を持つ部分があります。
2015/03/19 16:09  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
- さすがに -
さすがに、くわしくご存知ですね。ハーンを研究をする専門の講座に出ておられたのですから、かないません。今は家族、氏神あたりまで読んだところですが、アメリカで占領政策用に読まれたという事情がわかります。
2015/03/19 22:21  | URL | 志村建世 #O94VIzx6[ 編集]
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 私のありきたりの説を参考にしていただけて光栄です。
 夫に説明させると、ハーンの来日や就職の世話をしてくれていた、チェンバレンというやはり帝大のお雇い外人教師が、ハーンが思いのほか学生に大人気であるために、嫉妬して解雇を画策したというでしょう。たしか、教師の中でチェンバレンとハーンだけが大学卒ではなかったとどこかで読んだ気もするのです。
 確かにハーン亡き後のチェンバレンのハーンのことを書いた記述にはそのようなことを想像させる部分もあるのですが、いまのところわたしには真実はわかりません。
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』に、喜望峰をまわって遼東半島に向かうバルチック艦隊に燃料の給油を契約していた港ごとの会社が、没落する親戚を見るような感じで、給油をあまり快くしてくれなかったという件を思い出すと、諸外国がロシアが負けると感じていたのはハーンの著作の影響もあったのではと一人勝手に思うのと同じように夫も好き勝手なことを創造するのでしょう。じつはどうも個人の蔵書では、ハーンの関連図書は司馬遼太郎が一番多いというのもありますが・・・。
 占領政策にあたってはマッカーサー元帥の一番の側近が愛読していて、マッカーサーにも読ませたと何かで読みました。
 先日徳川家光の本を読んでいて、彼が初めて京に上るとき天皇にどのように接すればよいかを沢庵和尚に訪ねるくだりがあり、自分たち僧侶が民衆に尊敬されるゆえんは、仏様を敬っているから尊敬されるのであるから、将軍も天皇を敬う姿勢で臨むよう説得した件を読んで、マッカーサーの側近もこれも読んでいたのではないかと想像したのでした。
2015/03/20 01:16  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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