『アングレン虜囚劇団』
2015/03/09(Mon)
 1981年出版、池田幸一著 『アングレン虜囚劇団』 を読みました。
 池田幸一さんについては、志村建世さんのブログでときどき紹介されていて、大変尊敬させていただいておりましたので、夫がネットで購入できたといったときには大変うれしく思いました。
 志村さんのブログでは現今の政治批評の記事を読ませていただいておりましたので、虜囚劇団とは以外でした。むかし見たのか読んだのか思い出せませんが、『南の島に雪が降る』を思い起こさせるタイトルでした。
 今になってみれば、終戦間際ですが、池田さんは奉天で代用教員をしていた1945年8月1日に召集されます。
 いろんなところを転々とした挙句、歩兵二等兵で、新京の宮内府警備隊に配属になります。15日間の宮殿の巡邏という兵役でみたものとは、満州国皇帝や高官たちがあわてて逃げ、抜け殻になった宮殿です。開けっ放しの引き出しの数々、引きちぎられて捨てられた勲章や略綬、螺鈿象眼の棚に封も切らずにいっぱい積み上げられてある避妊用具の箱、口を開けられたまま並んだ舶来ウイスキーの数々、見捨てて城を逃げ出すときに脱糞したとおもえるまだ生々しく盛り上がった渦巻き、さして必要とも思えない退屈極まりない毎日であったとあります。
 このように必要かさえわからないような任務のために徴用され、終戦を迎え部隊ごと捕虜になるのです。
 以後、

昭和20年9月12日 慮囚列車新京(長春)出発
昭和20年9月24日 アムール河を渡りブラゴペシチエンスク着
昭和20年10月19日 アングレン着。
アングレン〈悪霊の谷〉の意。中央アジアソ連圏ウズベク共和国の寒村
 昭和23年9月21日舞鶴へ帰還

 この間、虜囚として帰還させてもらえるまでの様子が、帰還後、30年過ぎてもう一度捕虜として過ごした場所を訪れたり、虜友と出会ったりして、思い出せることなどを中心に描かれてゆきます。
 アングレンは、やわらかい油性の多い無煙炭が無尽蔵に掘り出せるところで、日本兵はこの採掘と、それに必要な施設づくりである丘のうえに進められている集合住宅建設作業、そして新しい川底にある鉱脈を掘り出すための河川切り替え工事いわゆる運河づくりの3つがおもな労役の柱となっていました。
 芝居や文芸仲間のなかにいた異色の志摩少尉を中心に捕虜生活のことについて語り合う部分の一部を抜粋します。
《・・その日はドイツ捕虜の闘争をしきりに誉めていた。彼らの作業隊が三日も作業拒否を続けているそうで、今日もドイツの歌を高唱し、サッカーをして遊んでいるという。どうせ原因は些細なことであろうが、ロスキーをイワンの馬鹿呼ばわりして懲罰も減食も恐れず、民族と国家の誇りを容易に曲げない処が泣かせるというのである。志摩さんならずとも・・・。われわれ士官は勝つこと以外は勉強しなかったのだ。負けてからのことは作戦要務令にもただの一行も書いてないじゃないか・・・ドイツ軍に国際捕虜法を習いたいのだが・・・だれかドイツ語のわかる兵隊おらんかな・・・。》
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コメント
- お読みになりましたか -
お読みになりましたか。わずか15日間の「兵役」で、この人は、とんでもない経験をさせられたものです。戦争体験とはまた違った「虜囚体験」の中での文化活動という、珍しい青春だったのですね。読み直していたら、リアルの池田幸一さんに会いたくなりました。
2015/03/17 21:41  | URL | 志村建世 #O94VIzx6[ 編集]
-  -
 上手に記録できないのですが、そのまま映画にでもなりそうな、映像を思い起こさせるような筆致に魅了されました。
 志村さんのおかげです。
 リアルの池田幸一さんに会われて、記事にしていただけたらどんなにすばらしいだろうと思います。
 志村さんの記事での池田幸一さんには、無為の兵役ではなく、メールで、捨て身で日本の人々に考えてほしいことを理を持って訴えておられる姿にいつも頭が下がります。
2015/03/17 22:15  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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