『小泉八雲と日本の心』
2015/03/20(Fri)
 1978年古川書房発刊、高木大幹著 『小泉八雲と日本の心』 を読みました。
以下が目次です。
 序章―松江にハーンの旧居を訪ねて
 「感覚表現―耳なし芳一の場合」(日本英文学会第29回中国四国大会 1976)
 「盆踊」              (『明治村通信』第五巻第五号、1974)
 「ハーンと日本人の微笑」         (『英語教育』1974年、4月号)
 「ハーンと明治」                 (『構想』第二号1973)
 「日本の庭」            (中部工業大学紀要第八巻、1972年)
 「色彩」             (中部工業大学紀要第九巻、1973年)
 「地蔵」             (中部工業大学紀要第十一巻、1975年)
 「ハーンと西洋文明―漱石に ふれつつ」(中部工業大学『結晶』第三集、1976年)
 「短歌」             (中部工業大学紀要第十二巻、1976年)
 「無常(1)」            (中部工業大学紀要第十巻、1974年)
 「無常(2)」      (日本英文学会第二十七回中国四国大会、1974年)
 「無常(3)」
 ―書評―
  平井呈一著『小泉八雲入門』         (『英語教育』1976、十月号)
  斎藤正二訳『〈完訳〉怪談』         (『英語教育』1977、二月号)
 あとがき
 この目次にあるように、学会などで講演されたり、紀要などで発表されたものをまとめられた本です。
 この『小泉八雲と日本の心』を読んでいる途中、ときどき勤務している児童館の玄関に、飾るためにドライのほおずきの赤いのと白いの(ほおずきを漂白して透けるようにしたもの)とをもって行きました。児童館では飾った花瓶に必ず飾ってある植物の名前を大きく書いて貼り付けています。ほおずきって漢字はどう書くんですか?と聞かれ、にわかには思い出せず、携帯で検索。「鬼灯」ということがわかり、私はこの「感覚表現―耳なし芳一の場合」のなかで説明されている鬼火が頭から離れなくなりました。ほおずきの赤い色といい、形といい、芳一が真っ暗な雨の中、安徳天皇の墓碑の前にひとりで座り琵琶を鳴り響かせ壇ノ浦の戦いの歌を声を張り上げて歌っている、その背後や周囲、墓地のいたるところで、鬼灯が赤く怨む心を燃やしながら飛び回っている様子を思い浮かべ。感覚的に「耳なし芳一」が捕らえられてゆきました。
 書物の終わりころになってくると、そこまでのハーンの日本についての理解や、それに引かれていくハーンの深い気持ちを述べる中でたどり着く仏教思想に基づいた無常についての分析になってゆきます。「・・・この国民は、特にこの信仰の深い哲理に、身をもっていそしんだわけでもなかったのに、無常を説いたこの教義は久しい年月の間に、この国民性に深い影響を及ぼしたのである。・・・・仏教は、自然はすなわち、是夢なり、迷想なり、幻なりと教えたと同時に、その夢の消えていく姿をとらえて、これを最も高い真理に関連して解明することも教えた。・・・・火事、洪水、地震、疫病、―そうした人間の惨禍すらが、彼らに生者必滅のことわりを絶えず教えたのである。」と著作し、「久方の光のどけき春の日にしずこころなく花の散るらむ」というような歌への美意識をも愛でたのです。
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