『神霊の国 日本』
2015/04/09(Thu)
 2004年KKベストセラーズ発行の井沢元彦著 『神霊の国 日本』 を読みました。
 はずかしながら、あとで、この作品は2010年5月にすでに読んでいて、読後記事を掲載していることに気づきました。
 小泉八雲の『神国日本』を読み終わって、なんとも似通ったタイトルなので、本棚にあるこの本の背表紙が目に付きました。手にとって読みながら、徐々にこの本は読んだことがあると思い出してきましたが、ふたたび読みました。さいわい辞書を引かなければわからないような言葉や事柄もなく、すらすらと読めました。
 『神国日本』を読んで、わかったことを繰り返し読んでいると思える部分がありながら、さらに、それに対比する欧米の、特にキリスト教の特徴をわかりやすく示してありましたので、日本に来日し十数年を過ごした小泉八雲が日本のどんな部分を特異と思ったのかが鮮明になってきました。
 しかもこの説明は、人間存在のありようを規定する根本的な部分ですので、日本の宗教観から来るあらゆるものが欧米人にとって野蛮に見え、当時来日していた欧米人がそろってそのような日本人を妻にもつラフカディオ・ハーンを気色悪く思っていたことがうなずけるのでした。
 この本は、このように欧米人と日本人の根底にある動かしがたい情緒を対比して畳み掛けて説明してあるのでとても説得力があります。
 わたしも、高校生のとき聖書を所々読んだり、先輩に連れられてカソリック協会に行っりしたことがありました。子育て初期、偶然近くに住み合わせた旧友に誘われて、やはり近所に来られる神父様のお話を聞いたこともありました。また娘が可愛がっていただいていたプロテスタントの牧師の話を聞きに行ったこともありました。しかし、親しくはなるものの、欧米人の血や肉になったようには理解せず、西欧人も自分と同じではないかと勝手に解釈しておりました。すでに幼いころから宗教とのかかわり方について知らずまに日本人の特性がしっかり骨身に染み付いていたことがわかります。
 いま私が住まいしている広島市安佐北区の可部地区は山口の萩に国替えとなった毛利家臣の熊谷氏の所領でした。熊谷氏はキリスト教弾圧のとき踏み絵を踏まず一族もろとも処刑されたと記録にあります。その影響か可部の古い墓碑をよく見るとキリスト者であることをそれとはわからないように刻んだものがあったりしますが、改めてこの人たちはキリスト教をどのように解釈していたのだろうかとおもわされます。
 キリスト教について本筋をたがえていた私のことに拘泥してしまいましたが、この本は、『神国日本』があらわされてからおおよそ100年後の本です。その間、日本も西欧もお互いのことがずいぶん理解できるようになっており、それぞれの国がお互い自立し、認め合っていくことが大切だということはわかっています。
 しかし、イデオロギーだけでは解決できない問題も次々と出てくるのが世の中です。井沢元彦のこの作品はこれらの問題に立ち向かう日本の能力を世に問うているように思えます。
ただ、作品の5分の3くらいが坂上田村麻呂や織田信長などのふつうの歴史書になっていています。

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