『大将の銅像』
2015/05/02(Sat)
 名著復刻 日本児童文学館 昭和48年10月ほるぷ出版刊 
 大正11年実業の日本社発行、濱田廣介著 『大将の銅像』 を読みました。
こ の本は、箱が二重になっています。箱が二重になっている本ははじめて見ますし初めて読みます。なんだかとても立派な本を読んでいる気持ちになります。
 装丁及び扉は竹久夢二だけあって、とても美しい本です。
 序は島崎藤村です。
 序の終わりに、
 《濱田小父さんは私の若いお友達ですが、今度皆さんのために一冊の本を書きました。どんな好いお話がこの本の中から出て来るでしょう。眺めても眺めても飽きない青い蝉のような子どもの世界のことがもっとお知りになりたくば、濱田小父さんのお話へおいでください。》
 と、『泣いた赤鬼』のなかに出てくる、看板のような廣介童話へのおさそいがあります。
 また、序では、
 《・・・・。童話は、現在の私にとって余戯ではない、そして童話が―というよりも、かかる形式が、私にまで、自己を表現するに可能な、しかもふさわしいものと感じ始めたのは、この頃のことである。
 これら作品の或ものは、芸術価値を要求しても不当でないと考える。でも結局はどうでもいい、たとえこれらの童話は、大人にも、何人にも、読まれていいものであることだけは信じている。
 それを信じて、私は、自分の道を歩みたい。》
 とあり、これら童話を書き、そのことを世に問うことの決意といったものが表明されていて、童話の行間に見える作者の息遣いが伝わってきます。
 収められている作品は、
「大将の銅像」・「地蔵さまと機おり蟲」・「一つの願い」・「カメレオンの王様」・「第一の贈物」・「みそさざい」・「剥製のとり」(詩)・「ある母さまと蛾と」・「噴水の鶴」・「砂山の松」・「ある夜の豆ランプ」・「誰にやるか」・「一本の棕櫚」
 の13作品です。
 漢字、仮名遣いは大正11年、ちょうど私の父親の生まれた年ですが、当時のままで、すべて子どもにも読めるようにルビが打ってあります。庿介が、どんな思いでこの漢字をあてたのかも感じられ、それもルビのために、すらすら読めてうれしくなります。
 廣介童話は引き続いて3冊目ですから、なじみの作品もありました。なじみの作品を読み返しながら、さらに新しい作品に出会っていくのですが、
年齢のせいか、「ああそう、こんな話だった。そうそう。いいお話ね。」と2,3篇読んでは眠りにつき、夜中に目覚めては2・3篇読み・朝とこから起き上がるまでに2・3篇と読みます。
 庿介の童話を読んでいると、気持ちのいい一日が送れて、世の中が美しく思えて人生得をしたような気持ちにさせられます。
 
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