『闇桜』
2015/05/20(Wed)
 我が家には、樋口一葉の図書はほとんどなく、ネットで検索本文を印刷させていただき、繰り返し三度くらい読みました。
 上・中・下とありますが、短い作品です。
 樋口一葉の作品は、なぜか声に出して読まないと、調子が乗りません。
 娘の千代は、今となっては中村家の一人娘で大事にされて育てられています。
 となりの園田家の跡取り息子良之助は二十二歳の若者で何某学校の通学生。
 幼い頃より、良さん、千代ちゃんと呼び交わし、けんかするときもありながらもよい遊び相手でした。
 まだ風の寒い二月半ば、梅見てこようと夕暮れに麻利支天の縁日に冗談など言い合いながら二人で出かけます。
 途中で「中村さん!」とだしぬけに背中をたたかれて、振り向くと、友達がおおぜいで「おお睦ましいこと」と囃し立てて通り過ぎてゆきました。
 その後、良之助に対して以前のようには口が聞けなくなり、自分の恋心に気づいていきます。良之助への恋に苦しみ、ついに病気になってしまいます。
 良之助はそれとは知らず、病気と聞けば、以前の如く心配して始終見舞いに来てくれます。それがまた恥ずかしくて帰ってもらうよう家人に頼むが、だれも千代の心に気づいて気をまわしてくれるものもなく、臨終もちかくなって
 《良さんに失礼だがお帰り遊ばしていただきたいとああそう申すよ良さんお聞きのとおりですからとあわれや母は身も狂するばかり娘は一語一語呼吸迫りて見る見る顔色青みゆくは露の玉の緒今宵はよもと思うに良之助立つべき心はさらにもなけれど臨終(いまは)に迄も心づかいさせんことのいとをしくて屏風の外に二足ばかり糸より細き声に良さんと呼び止められて何とぞ振り返れば。お詫びは明日。風邪もなき軒端の桜ほろほろとこぼれて夕やみの空鐘の音かなし。》
 で終わり、最後の一行にやっと闇に散る桜が描かれて、片思いの病で死んでいく千代の姿が浮かび上がっていきます。
 当ブログの、2013年10月23日の記事に、澤田章子著『一葉伝 樋口夏子の生涯』を読んだ記録を書き付けていました。今その本の一部分を読み返してみました。
 桜の話が、一葉の話になってしまうのですが、半井桃水は一葉の作品が新聞に向かないなら、雑誌で一葉を押し出そうと同人誌『武蔵野』の発行を計画します。一葉は、時間を惜しんで、この「闇桜」を書きあげ恋慕っている桃水に見てもらいにいきます。桃水はできばえを誉め、朝日新聞の主筆の小宮山にも作品を読ませ「氏が説には、むさしのは君が所有のぬしたるべし」と小宮山のことばを聞かせて夏子を励ましたといいます。夏子が“一葉”と署名したのもこの作品が初めてでした。
 一葉が『武蔵野』第一篇を手にしたのは、1892年明治25年の3月27日でした。片恋をテーマにした「闇桜」が一葉の名で初めて活字になって雑誌を飾りました。夏子は発行予定日に鮨を作って近所に配ったりしたといいます。一葉が二十歳になったばかりの春です。一葉はそれから四年後に亡くなるのですが、以前読んだ小泉八雲の『神国日本』を翻訳した戸川秋骨はその回想で、斉藤緑雨から重態を聞かされて訪ねると、「美しい、才気のほの見える言葉づかいで」「皆様が野辺をそぞろ歩いてお居での時には蝶にでもなって、お袖の辺りに戯れまつわりましょう」と語ったといいます。
 この「闇桜」こそ一葉にとっての“闇桜”だったのではないかと思えたのでした。

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