『ミラノ 霧の風景』
2015/06/23(Tue)
 白水社から1994年9月30日第1刷発行、 1999年11月30日第16刷発行の 須賀敦子著 『ミラノ 霧の風景』 を読みました。
 この本も、みどりさんに送っていただいた本です。
 本書は新書判なのですが、1990年に単行本としても刊行されていたと書かれています。わたしは、この著者の須賀敦子という人もはじめて読んだと思うのですが、広くたくさんの人に読まれていることが、いま、このブログを書くために、最後をめくって、わかったところです。
 じつは昨年の夏ころだったでしょうか、一度読みかけて、そのままになっていました。読みかけてそのままになっている本が、4冊くらいあると思うのですが、この本は読みかけていたことさえ忘れていました。50ページたらずのところに栞があったので、思い出したのです。12のエッセイが収録されているのですが、「目に見えないところでヨーロッパを動かしているというかずっしりと存在している貴族のこと」について書かれたところがあり、そこには人肌に触れないで金庫に納められている真珠が、ある時期から光沢を失い始めるとありました。わたしも、親から譲り受けた、いいものかどうかわからないけれども、いちおう保証書付の真珠のネックレスのことが気になりだし、自分に合うデザインに仕立て直す作業を夫と共にやり始め、本を読むどころではなくなり、そのうちに、読みかけていることも忘れてしまったということが思い出されてきました。
 自分に合うデザインを2本くらい作って、「やっぱり真珠が一番」などと思ってしばらくはいつも胸に着けていましたが、職業柄、このようなものをつけない習慣が身についているせいか、いつのまにかまた収めこんでしまいました。
 このタイトルのように「風景」をながめるような気持ちで読んでいれば、充分に50年・60年代のイタリアの風景を楽しむことができたのに・・・・。と思いながら読み終わりました。
 途中で、この文体が、フランソワーズ・サガンを読んだことを思い起こさせます。少ない小遣いからサガンの文庫本を買って次々読んだ高校生のころのことです。翻訳者の朝吹登美子の文体と似ているのでしょうか。それとも、この時代のヨーロッパの風景をかたると、このような文体になるのかな、などと思ってしまうほどです。
でも、これはフランスではなくイタリアなのだとイタリアの各都市、各地方のことが書かれてあるところは、丁寧に読み込んでみました。さほどながくもなく南北に伸びた国ですが、ことばも、文化もずいぶんちがいがあるようです。著者は、いろんな地域を、かさねて何度か訪ねることによって、その地域の輪郭を霧が晴れるように提示していってくれます。そして、ほとんどがその地域に何らかの知り合いがいる友人などと、その知り合いを訪ねていき、そんな思い出が織り込まれていることで、楽しく味わうことができます。また、その地方出身の有名な詩人や芸術家をおもいおこし、その人の作品の時代の風景もかさねて感じることができます。作品の最後にも、一緒に訪れ今は亡き、同じ職場のアントニオについて、《物語が終わると消えてしまう映画の人物のように、遠い国の遠い時間の人になってしまった》と述べているのもその例です。
スポンサーサイト
この記事のURL | 未分類 | コメント(2) | TB(0) | ▲ top
<<『須賀敦子のヴェネツィア』 | メイン | 『いのちは燃える』>>
コメント
-  -
 時間が経ってしまいましたが、神奈川近代文学館で開催されていた「須賀敦子の世界展」に出かけた当時を思い起こしています。
本を読み観光地ではないミラノを知りました。生活者の視点でミラノ、イタリアを想像することができたのです。「須賀敦子の世界展」では、須賀さんと家族の手紙、夫となったペッピーノとの手紙(love letter)、仲間の作家などとの往復書簡が展示されていて、それらを読みながらまわったので時間がかかりました。入り口の大きな写真が、花てぼ様の顔の輪郭と雰囲気を思い起こせるものでした。
 当時ブログに書いた記事を再読したいと検索したのですが、探し方が悪いらしく、見だせませんでした。
本の中の人物名を覚え切れませんでしたが「コルシア書店の仲間たち」等は時代を切り開こうと集いあうイタリアの人たちを身近に感じさせ、もう一度読み直してみたくなりました。
60歳から世に出たような、若い女性たちにも人気のある作家です。
更に須賀敦子氏の著書をお読み下さると、新しい発見があるように思います。須賀敦子氏の著作を読む切っ掛けを下さったのは、当時40代の読書仲間でした。残念ながら、現在この会は立ち消え状態でおります。そのこともありまして、あかね様の読後感を拝読できますことに、喜びを感じております。
2015/06/23 07:23  | URL | みどり #-[ 編集]
-  -
 石垣綾子氏も須賀敦子氏も、そしてこれまで出会った多くの女性作家もみどりさんが送ってくださらなかったら出会えない人がほとんどでした。しかも「知らないのは私だけ」の人たちでした。
とても感謝しています。
 ジャーナリストであり、ボヘミアンといわれた、ハーンの学習をさせていただくようになって、偶然、最近読んだ、芥川の『西方の人』に語られるキリストや、石垣綾子氏、須賀敦子氏に、おなじような生き方を見出し、中学生のころから、親元を遠く離れまいと決め、広島県から出たことのない私には、これらの人々に思いを重ることは、読書の醍醐味と思えます。ボヘミアンでありながら、みどりさんの言われる「生活者の視点」での描写がさらに魅力でした。
2015/06/23 19:40  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://yamanbachindochu.blog106.fc2.com/tb.php/772-43e98d3f

| メイン |