『遠い朝の本たち』
2015/06/25(Thu)
 筑摩書房1998年4月第一刷発行 1998年6月第15刷発行の、須賀敦子著 『遠い朝の本たち』 を読みました。
 安佐北図書館で借りたのですが、発行数を見ても、図書館での本のいたみ方を見てもとても広くよく読まれていることがわかります。
 彼女の人生でのいろいろな本との出会いを、いくつかのエッセイに書き、それをまとめて加筆を加えたとあります。
 最初の「しげちゃんの昇天」に出てくるミッションスクールで、小学校からの同級生で、あいだで、自分は父親の転勤で東京に転校して別れ、女学校4年生のとき、疎開で帰ってまた同級生になったけたしげちゃんの話があります。少女時代にだれよりも影響を受たこのしげちゃんのことが最後の「赤い表紙の小さな本」にも出てきます。赤い表紙の小さな本とはバースデイブックといって、1年間の日付があり、それぞれの日付にあう誕生日の人の姓名を書き入れるもので、当時の学校の仲間や、近所の友だちや、まだ若かった叔父や叔母たち、いとこ連中までが、それぞれの誕生日に小さなことばを添えて、署名しているといったものです。その3月4日のところに、しげちゃんの署名があり、
《個性を失うという事は、何を失うのにも増して淋しいもの。今のままのあなたで!  19・10・12。》と添えられているとありました。しげちゃんとの事は、なぜか少女時代の話が多いなかで、押しては返す波のように思い出されています。キリストを求めてカルメル修道女会のシスターになって、50歳過ぎに膠原病と戦って亡くなった彼女の3月4日という誕生日は、偶然私と同じです。
 著者は大の読書好きですが、彼女の家族、身近な妹、父親、まだ家にいた若い叔父や叔母たち、母がたのいとこたちも揃って読書好きです。そして、家にはたくさんの図書があり、お土産のプレゼントなども本が多かったようです。ですから、家族との会話にも本に関することが多く、私との育った環境のちがいを感じます。そんななか、「父の鴎外」で、父親に、《「おい、おまえ、鴎外は読んだか」「何を読んだ」「鴎外は史伝を読まなかったら、何にもならない。外国語を勉強しているのはわかるが、それならなおさらのことだ。『渋江抽斎』ぐらいは読んどけ」》といわれたことから鴎外の作品への考察があります。
 司馬遼太郎をよく読んでいたわたしは、その影響で森鴎外は、『坂の上の雲』を読んだときを境に嫌いになってしまいました。日露戦争では日本兵の多くが脚気で亡くなります。海軍では早くに食事の内容を変えることで被害をなくしていきますが、陸軍では、軍医部長である森鴎外が、いうことを聞かず、亡くなった人が多かったと読んだときからです。人命にかかわる軍医の独りよがりは困ると思いました。
 この『渋江抽斎』について、《鴎外がギリシア以来の文章の格の高低をあてはめているように、わたしには読める。ようするに、鴎外は西洋の技法を骨格にすえて、日本的な題材をあつかい、それを、たとえば・・・・重く漢文に依存した文体を練り上げるという、比類ない統合を意識した作家がここには見られる》と述べています。この部分については私ももう少し考察ができたらと思っています。
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