『イタリアを知るための55章』
2015/07/03(Fri)
 明石書店より1999年1月発行 編者 村上義和の 『イタリアを知るための55章』 を読みました。
 これも安佐北図書館で借りたものです。この図書館には三冊しかなかった須賀敦子関連の本は読み終わり、返却して、ほかの図書館から、取り寄せていただくお願いをしました。
帰り間際、何も借りて帰らないのも寂しいと思ったやさき、ふとこの本が目に入ったので、お借りしました。
1 「近代日本」と「在日イタリア人」  エトルリア文明、・・・・・・・・・・・と、それぞれの章が3ページづつで、54 余暇 55 食生活事情まで、いろいろの項目を挙げて、説明されています。 
 読みはじめから、これは、借りて帰ってよかったと思いました。
 わたしは、イタリアについて、名前と位置くらいしか知らなかったことが判明しました。読んで考えるということはなく、なるほどなるほどと、思うばかりです。
 《はじめに マルコ・ポーロの『東方見聞録』において日本は大陸から1500マイルの公海中にある黄金の島として西洋に始めて紹介されたが、日本―イタリア関係が始まるのは約400年前である。ザビエルが鹿児島に上陸して日本にキリスト教を伝えて以来、切支丹宗門と呼ばれたカトリックの神父がその教えを説くためにつぎつぎ日本に来航したが、イエズス会の巡察使ヴァリニャーノもその一人である。・・・・。》で、日本にはじめて来たイタリア人として、ヴァリニャーノが紹介される。彼のはからいで4人の少年が遣欧使節として1585年にローマ入りして教皇に謁見しました。すぐ翌年支倉常長がローマ入り法王に謁見します。時をおいて、1866年日伊修好通商条約締結に伴って翌年、パリ万国博覧会への出席と条約締結国訪問のため、徳川昭武を代表とする使節団はエマヌエーレ二世に謁見、1873年には特命全権大使岩倉具視が日伊修好通商条約改正交渉のために、赴き全国を視察します。(5・6月二ヶ月の滞在については、本文で、冬は国境にモンブランなどをいただき-10度にまでなる北から、細長くのびた南は地中海の暖流で、日本の北海道から、東北一帯と同緯度でありながら温暖で木もよく育っているとの報告書の抜粋があります。)
 このように、日本とイタリアの関係の説明は、大変興味深くつづいて、そういったイタリアの起源から、1999年のこの編集までの歴史・憲法。政治・経済・宗教・教育・福祉・司法・文化・科学・労働状況など国の様子を、わかりやすく、手短に説明してくれます。
 明治維新後欧米からたくさんのひとを招聘しますが、イタリアからも「日本紙幣の父」キオッソーネをはじめ美術関係者、青銅砲、要塞砲の製砲技術教師らがわずかながら招聘されていたことを知りました。横浜外人居留地では、イタリアで蚕の伝染病で繭の生産量が激減していて蚕種紙購入などのためか、明治初期65人のイタリア人がいたとの報告があるとのことでした。
 そのほか、宗教とマフィアと政治などについても興味をそそられました。
 第二次世界大戦前のファシズム化では、1926年に反ファシズムの新聞・刊行物の禁止があり、今の日本自民党の政権下でもこのような発言が相次ぐなか、以後のファシズム化へ道筋がたどれるようでおぞましくも思えました。
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