『イタリアの詩人たち』 ㈠
2015/07/05(Sun)
 青土社より2013年11月に発行の、須賀敦子著 『イタリアの詩人たち』 を読みました。図書館からお借りしたものです。
 ウンベルト・サバ、ジュゼッペ・ウンガレッティ、エウジェニオ・モンターレ・ディーノ・カンパーナ、サルバットーレ・クワジーモドと、5人のイタリアの詩人について、その詩を翻訳し、その詩への解説や思いをつづったものです。
 ウンベルト・サバは、1883年トリエステに生まれ、母親はユダヤ人でした。彼の出生以前に母親が父親に棄てられたかたちで、幼いサバはこの町のゲットーでそだてられました。若くして職に就き自らの生計を立てていましたが、第二次世界大戦がはじまり、ユダヤ人迫害が始まると、それまで経営していた小さな出版社兼古本屋をたたんで、逃亡の旅に出ることを余儀なくされました。パリ、ローマ、フェレンツェ、ミラノと、旅に年月を過ごし、ついにトリエステに戻りつき1957年に亡くなりました。
 サバは、ウンガレッティとモンターレとならんで、現代イタリアの三大詩人の一人にかぞえられています。おなじトリエステに夫の実家がある須賀敦子は、《彼の作品は、深い心の痛みとは反対に、否、心の痛みを勇気を持って正面から見据える者にだけ与えられる、あの奇跡的な力によって、重い果実のように円熟し、彼の個性は確かな普遍の世界を克服していった。》と述べています。
 ジュゼッペ・ウンガレッティは、1888年、エジプトのアレキサンドリアに生まれました。両親はルッカ(トスカーナ)の人で、父親はスエズ運河の建設工事に関係していましたが、ウンガレッティが2歳のときに亡くなり、少年時代をエジプトで過ごしたのち、1912年パリに現れたといいます。
 著者須賀敦子は、このウンガレッティの研究で文学博士号をとったとほかの本に述べてありましたが、そのせいもあってでしょうか、彼の詩作に対しては、イタリアのあるいはヨーロッパ、特にフランスの詩について研究した上での専門的用語が加わって、さらに彼の詩作の成長・成熟の評論となっています。
 《「死の苦悶」 喉の渇いた雲雀のように 死ぬ/蜃気楼をまえにして/または 海を渡り終えて/最初の藪の中で 死ぬ/飛び続ける意欲をなくした/鶉のように/が 盲いた鶸のように/嘆きつつ生きることは しない
・・・・英雄的な生涯への決意とも取れるこの作品は、いかにも才気に満ちていて、向こう見ずな若さの美にあふれている。美しいが、この世界は抽象にすぎず、閉ざされている。そして、その地平線をさえぎる厚い壁が、彼自身の中のイタリア性であることを、だれよりも鋭く感知していたのは、ウンガレッティ自身であったろう。》そして、彼のそれからの変容を、「徹夜」で語ります。その詩では、まもなく、ヨーロッパは第一次大戦の舞台になり、いったんミラノに落ち着いて文芸誌の編集に当たっていた彼が、歩兵を志願して北イタリア方面に出兵、虐殺され、腫れ上がった無残な屍の横で一夜を過ごしたときのことを詠います。はじめて、彼のなかのイタリア的素質が形を結ぶのを経験し、生と死との意味を人間の歴史のなかの問題として把握し得て、フランス的な透明な理性を克服して、肉体が存在的な現実として君臨するイタリア本来の伝統へ帰着することを解説してくれます。
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