『イタリアの詩人たち』㈡
2015/07/08(Wed)
ウンベルト・サバ、ジュゼッペ・ウンガレッティ、につづくエウジェニオ・モンターレは、1896年、ジェノアの裕福な貿易商の家に、5人兄弟の末に生まれました。少年のころは健康に恵まれず、十三歳で中学校を中退したのちは、姉に基本的な学科の手ほどきを受けました。
 非常な読書家で図書館によく通っていましたが、彼の本当の夢は歌手になることで、先生について熱心に技を磨き後年音楽評論も書くようになり、さらに現代外国語にも情熱を傾け、フランス語、スペイン語、英語などを、ほとんど独学で身につけ、それぞれの国の文学を言語で楽しむようになったといいます。
 29歳のころより詩人として文学者の間で知られるようになり、文化人の反ファッショ宣言に署名、来るべき全体主義体制に対する政治姿勢がはっきりしていたといいます。31歳でフィレンツェの出版社に職を得て経済的に初めて自立します。33歳ではフィレンツェの由緒あるヴュッシュウ研究所の所長に迎えられますが、42歳のときファシスト政党の党員になることを拒否して首になります。
 1939年43歳のとき『機会』が出版され、第二次世界大戦に送られたインテリ兵士の限られた荷物のなかにしばしば彼の詩集があったといいます。首になったモンターレは、イギリス文学作品などの翻訳で生計を立てますが、そのことを通して彼の詩も語彙、韻律ともに豊かさを増していったとあります。
 戦後については、
 《あのいまわしい束縛のともに、あれほどの渇仰をもって求め続けられた楽園は、戦後、またたく間に、無知と愚かさの泥にまみ れ、色あせてしまった。》
 彼の作品にも
 《愚痴っぽい老年の無残が、あちこちに不気味なしみを落としはじめる。》と解説があります。
 1976年、エウジェニオ・モンターレはノーベル賞を受賞します。
 《いにしえの日に、アレキサンドリアの図書館の火事が、ほとんど象徴的に、古代の文化を葬り去ったように、いま商業主義の猛火が、すべての価値観を侵食し、人類が本質的にうたを喪失しはじめたことに、彼は心から立腹している。》
で締め切られています。
 解説に頼りきっての、詩の鑑賞でしたが、思想的には、彼の気高さに引かれ、反体制派として、戦時を潜り抜けたその体験からの思いには遠く及ばないものを感じるものの、詩の解釈はなかなか難しく思えました。


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