第179回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2015/07/12(Sun)
 7月11日、朝から暑く、夫は、きのう知人の裁判に出かけて、疲れきったこともあって、明日のこともあるので・・・と、休むことにしたのでハーンの会には、私一人で出かけました。
 いつもたくさんの資料を準備してくださるのですが、今日は早く会場にいけて、その資料をセットするのを少し手伝えて、幸いでした。
 このたびは、松江市の八雲会が、創立50周年を迎え、前身の第一八雲会から100年となるのも併せ、7月4日午後1時から松江市の松江総合文化センターで、講演会とシンポジュームが開かれたこと、松江城が国宝に指定されたこと、NHKの『100分de名著』 が2回分放送されていたこともあって、「広島ラフカディオ・ハーンの会」としても、押さえておきたいことが多く大忙しでした。、それに、会員のYさんが、松江の小泉八雲記念館を設計した山口文象について、年表と、写真集を印刷して配布してくださり、その説明をされました。この説明は難聴のため全く聞こえませんでした。山口文象のこともさることながら、この説明を通してYさんの建築に対する思いも聴きたかったのでとても残念でした。
 仕方なく年表を見ていました。清水建設や、竹中工務店が出てくるので、高校を卒業して和文タイピストとして建設会館に勤務していたとき親しく会話したこともある、清水建設の営業部長のUさんや竹中工務店の営業部長のSさんを思い起こします。私が勤務した3年間は熊谷組の、『黒部の太陽』や、鹿島建設の『超高層のあけぼの』という映画が製作されたころで、それぞれの会社から優待券をいただいたので、映画館に出かけ、業界の方々の仕事に対する熱意に圧倒されたことを懐かしく思い出します。当時はその熱意に応えるほど土木建築業界に仕事があり、華やかな時代でした。この年表では、ちょうどそのころ山口文象はキリスト教の洗礼を受けています。建築家は、宗教で言えば新興宗教も含めて、あらゆる宗教の建造物を建て、その宗教の歴史と宗旨を理解し祭壇などの様式もよく学んで、キリスト教であれば祭壇の上のステンドグラスに決まった日のある時間に朝日がすっと入ってくるように設計するなど、宗旨を理解したうえで自分の独自性を表現するのではないでしょうか。山口文象の手がけた数々の教会に思いをめぐらしていました。彼に市川三喜氏は、どのようなメッセージを添えて小泉八雲記念館の仕事を頼んだのでしょうか。風呂先生は、旧小泉八雲館の設計図も何も残っていないと残念がっておいででした。ずいぶん昔のことですが、夫がある小学校の体育館の建替え工事の現場監督をしたことがありました。元の講堂の解体もセットだったのでしょう、解体したときに、棟木からその講堂にまつわる記録をしたためた上棟額が出てきて一時預かっていたことがありました。解体業者が施主にそれを報告しないということも考えられないので、どこかにあるような気がしないでもないと思ったことでした。
 松田美緒著『クレオール・ニッポン うたの記憶を旅する』のなかのCDから、「ホレホレ節」を聞かせてくださいました。その歌詞の「行こか メリケンよ 帰ろか 日本 ここが思案のハワイ国」で、どうしても、日露戦争で戦況を記者団に語っていた海軍の秋山真之のことが思い出されて仕方がありませんでした。気になって帰って調べてみたら、明治38年(1905年)1月9日にマダガスカル島のノシベに入港して以来、2ヵ月ほど放置されていたバルチック艦隊は本国からの指令が来ないので、身動きがとれないでいました。そのバルチック艦隊の心境を、秋山真之が新聞記者の取材に対して応じた答えに「行こか ウラジオ、帰ろか ロシア、ここが思案のインド洋」と述べたということがわかり、あーそうだったとすっきりしたことでした。
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