『100分de名著 日本の面影 小泉八雲』
2015/07/15(Wed)
 NHKテレビテキスト 『100分de名著 日本の面影 小泉八雲』を読みました。
 先月、6月6日の『広島ラフカデオ・ハーンの会』に出席したとき、風呂先生の紹介を受け、購入していましたが、もう番組の2回分を録画をして視聴したのに、本を読んだのは4・5日前からでした。
 読み進むにつれて、著者の池田雅之氏の解説に多くのことを学びました。
 これまで約1年のあいだ、八雲はそれまでにほとんど興味を持ったことのない作家ではありましたが、『広島ラフカデオ・ハーンの会』に参加させていただき小泉八雲について勉強してまいりました。講師の風呂先生の丁寧な資料による解説で、思いがけず小泉八雲のたくさんの作品にふれ、親しんできました。そのため池田雅之氏の解説に出てくるハーンの作品はほとんど読んでおり、その池田雅之氏による解説を、ラフカデオ・ハーンを自分に置き換えて考えてみることができました。これまでもそのことができていると思っていましたが、そうではなく、同じような体験をしたときの自分の思いと、ハーンの思いがまったく違うことに気づかされました。
 たとえば、「青柳ものがたり」について、ハーンの瘤寺杉木立伐採のエピソードがあります。
 わたしが、以前住んでいた家の裏の通りに沿って、メタセコイヤの並木があり、それが伐採された時のことを思い出しました。わたしには、若いころから、自分が何かの木に片思いをするようなところがあって、そのころは妙にメタセコイヤに目が行くのでした。その並木は老人が一人で住んでおられる広い敷地の別荘にそっていました。いつのころからかこの老人と気があうようになり、ふたりでメタセコイヤについて語りあったこともありました。ある日突然そのメタセコイヤが伐採されていてびっくりし、そのわけを老人に訪ねたところ、枝葉が落ちてバイクが転倒するので危ないから切って欲しいとの要望で・・・・ということでした。それからまもなく老人は亡くなりましたが、そのメタセコイヤの並木の端に、やはり伐採された芝グルミの切り株から、鮮やかなオレンジ色の樹液がまるで動物の血のようにあふれ出て切り株をおおっていたのが印象的でした。そのとき、自分が寂しかったことは覚えているのですが、メタセコイヤや芝グルミがかわいそうだとは思わなかったのです。池田雅之さんの解説によって、ハーンがこのような経験をしたら、自分が身を切られるような痛みを感じたのだということに気づかされたのです。
 また、「八雲自身はコスモポリタンの旅人として、異文化へのチャンネルをいろいろ持っていました。・・・・・つまりは、日本人の異文化へのチャンネルは、いつも一元化していた。」という部分についても納得させられました。
 退職して山に登るようになり、山口県、高知県出身などの人とも無駄話ができるようになって気づいたのですが、その出身地方の歴史の話になると、私たち広島出身の人は毛利氏の話になり、山口は大内、高知は長曾我部の話になります。じっさいにはその前も後もあったはずなのに、この文化のDNAしかなきが如くです。なぜか、前も後も気持ちのなかで受け入れないのです。
このように、自分のいま学習していることを距離をとって見渡すことができるとてもよい機会になったのでした。
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