『ファン・ゴッホ―火の玉の太陽にこがれて―』
2015/07/23(Thu)
 1993年 岩崎書店発行の、J・ルメイー文 C・ルシャー絵 長島良三訳 『ファン・ゴッホ―火の玉の太陽にこがれて―』を読みました。絵本ですが、28枚のゴッホの絵が、載っている優れものです。
 女の子が弟と、ゴッホの出生地近くに住んでいるおじさんのところに遊びに行き、物置にある、本物かどうかわからないゴッホの絵があることを知ります。自分でも絵を描いているおじさんが、片付け仕事を中断して、ゴッホに興味を持ったふたりを、ゴッホの生まれた村に連れて行き、さらに美術館などをめぐり、ゴッホの絵の上達の過程や、心をやんで自殺するまでを、絵の色彩などの変化をとおして、子どもにも良くわかるように、説明してくれ、楽しくふたりが、ゴッホを深く知っていくお話しです。
 1853年3月30日にゴッホは、オランダのフロート・ズンデルトという小さな村の司祭館で生まれます。父親はプロテスタントの司祭でした。厳格に育てられ、口数は少なく、散歩を好んでいましたが、心の中ではいつも友だちを欲していました。15歳で学業を終えると1869年絵画商のグービル商会ハーグ支店に入社。1873年、弟のテオもグービル商会のブリュッセル支店に入社。おなじ年、ゴッホはロンドン支店に転勤になります。
 1874年パリ支店に転勤になります。その後、絵画商に嫌気がさし、イギリスに渡って、フランス語の教師として働きます。自分の人生に悩んだ挙句、宗教心に突き動かされ、オランダに戻って神学の勉強を始めます。
 1879年ボリナージュで世俗の伝道師として働き始め、鉱山地区で貧しい人々の中でも最も貧しい者として生きる決意をしますが、やりすぎて上部に気に入られず呼び戻されたりします。
 1880年、アントワープで絵の勉強をします。
 1881年にはハーグへ向かい、いとこの画家マウフェのもとで指導を受けます。1883年娼婦シーンとの結婚に家族から反対され、病気になり、ヌエネンの家族の元に帰ります。
 1886年にはパリに腰をすえ、コルモンのアトリエに通い、ロートレック、ピサロ、シニャック、ゴーギャンに出会います。
 1888年、アルルで生活を始め、最初の発作が起き、12月24日に耳きり事件が起きます。1889年プロバンス病院(精神病院)に入院。1890年、5月末、ガシュ医師のもとに身を寄せ、7月27日に誰もいない畑のなかで銃口を胸に当て引き金を引きます。かけつけた弟のテオの、「治るよ。もっとつらい試練を乗り越えてきたじゃないか」という言葉に、「無駄さ、悲しみってやつは、どこまでもつづくんだ・・・」とゴッホは言い返します。テオは、亡き父の枕元で、「死ぬことは難しい。だが、生きることはもっと難しい」とゴッホが言ったことを思い出します。 彼は、学校時代もその後も、温厚な反面、他人と意見が食い違うと、突然かんしゃくを起こし、他人とうまくやっていくことはついにありませんでした。
 先日読んだ『絶歌』の元少年Aとの障害が、とても似ていることが頭を離れません。耳切り事件の直前には、ゴーギャンに剃刀を向け、ゴーギャンは恐れをなしてホテルに逃げ、耳切り事件のあとゴーギャンも警察から事情聴取を受けています。元少年Aは、逮捕された直後、やっと死刑になって、自分の狂気から逃れられると安心する部分がありました。
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コメント
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 読み直せば必ず気がつくことと思いましたが。一応お知らせ致します。
『7月27日に誰もいない畑のなかで重厚を胸に当て引き金を引きます』・・・こちらですが、脳裏に浮かぶ文章を打ち込むことに集中なさったのだと思いますが、私も後で読み直し、自分ながらあまりの変換ミスに苦笑を重ねております。接続箇所の違いには、何方にもご忠告は致しません。充分に理解できますので。差し出がましいことと我が身を振り返ります。
 ゴッホの晩年の作品を眺めておりますと、自然に涙が滲んできます。自分で自分を御し難いことへの哀しみ憤りを感じます。
明るい沢山の向日葵の絵画にも惹かれますが、耳を切り取った時の包帯姿の肖像画には、此処まで描くことが出来る特殊さにたじろいだり、良い薬や治療方法がなかったのか等と思い巡らせました。
 子供たちがどう読み、どう受け取ることが出来たのか、子どもと向き合い話し合いたいような気持ちになりました。
2015/07/24 11:09  | URL | みどり #-[ 編集]
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 御忠告ありがとうございました。ずいぶん前の記事を読み直すことがたまにありますが、訂正するところが必ずあります。タイピストだったころは、新聞記事でも、内容は理解できないのに間違いだけが浮かんで見えて仕方がありませんでしたが、それから何十年、ミスのない記事は打ったことがありません。すみません。
 「ゴッホの晩年の作品を眺めておりますと、自然に涙が滲んできます。自分で自分を御し難いことへの哀しみ憤りを感じます。」
 ほんとにそうですね。みどりさんの優しさが伝わってきます。
2015/07/24 19:56  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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