『十三の砂山』
2015/07/27(Mon)

 1980年 岩崎書店発行の、鈴木喜代春著・野村邦夫絵『十三の砂山』を読みました。
 職場で、保護者が図書を新しく購入され、廃棄になった本をいただいたのです。
 わたしは、昆虫と植物にかんするきれいな図入りの本ばかりを選んだのですが、ほかに、1冊だけこの『十三の砂山』をいただきました。
 直前にいた職場で借りて読んだ、『十三湖のばば』という本がとても印象に残っていたからです。帰って、著者紹介をみると、『十三湖のばば』もこの人の著作でした。
 青森県の津軽半島に十三湖という湖があります。
 その十三湖のまわりに、十三(トサ)という村があり、

《十三の砂山米ならよかろ 西の弁財衆にただつましょ
 盆がきたとてわが親こない 盆のみそはぎわが親だ》

とうたいながら、村人は、盆に踊ります。
 十三湖は、ちいさな口を開けて、日本海に面していて、その付け根は、むかしは十三港といってとても栄えた港町がありました。港は栄えていましたが、その十三湖のまわりにある十三村では、村人は、沼地でわずかばかりの米を作り、湖でしじみを採って貧しい生活をしていました。
 村人に均等に分けられたわずかばかりのお米は、とても家族のお腹をみたせるものではありません。
 ある日、お花は、病気の父親にお米を食べさせて死なせてやりたいと、砂浜の稲穂を盗みに行って見つかってしまいます。村のおきてを侵したものは、沖の船に売られることになっています。母親に、その準備をしてもらっているとき、2年前にやはりおきてを破って船に売られたやすけが、「船は地獄だ、匿ってくれ」と逃げ込んできます。それを聞いた母親は、やすけと逃げるようにいい、みそはぎを母親だと思って、しっかり生き抜くようにと逃がしてしまいます。そのあと母親は村人に責められますが、硬く口を閉ざして答えません。そして翌朝、
《突然 ぐらぐらと、家がわれ、ぼこぼこと湖がわきあがり、ごうごうと地面がうなりだしました。人も船もあっという間に消えてしまいました》
そして、花とやすけだけがなにもない砂山に立っていました。というお話です。
 この物語が、何日たっても強く印象に残るのは、この著者が、長い間教職にあって、この本を出版されたときも千葉県松戸市の松戸市立第三中学校の校長であったということです。そして、絵も中学校の美術教師でした。
 校則を守ることを諭す現場にいる先生が、「生き抜く」ということを最優先に物語っていることに、強いインパクトがあります。
 昨年8月29日未明、広島では大雨による土砂災害で、たくさんの人が亡くなりました。そのなかに、知人の家族もいました。知人は自分だけ生き残った当夜への物語のためにひっそりと暮らしています。わたしは、生き残った知人のその生命に心が打ち震えるような運命の奇跡を感じていました。
スポンサーサイト
この記事のURL | 未分類 | コメント(2) | TB(0) | ▲ top
<<『須賀敦子の方へ』 2 | メイン | 『ファン・ゴッホ―火の玉の太陽にこがれて―』>>
コメント
-  -
 津軽を二泊三日で旅した時ですが、十三湖の傍らで現地で借りた車を降り、レストランのような建物で蜆汁を頂きました。湖が硝子戸越しに青く広がっておりました。十二湖の傍も通ったと思います。
「十三の砂山」に記載の歌詞には全く覚えがありません。
教育者である方の絵本と言うのは堅苦しいものが多いと感じますが、良いご本を頂きましたね。また津軽方面へ旅したい気持ちです。
2015/07/27 10:38  | URL | みどり #-[ 編集]
-  -
 十二湖とは、知らなかったので、調べてみて知りました。
 人々の掟に関係なく、災害は人々の生活を飲み込んでしまうことが最近多くなったように思います。一日一日を大切(=感謝してでしょうか)に生きてゆかないとと、思いを新たにします。
2015/07/27 20:13  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://yamanbachindochu.blog106.fc2.com/tb.php/786-3563bf20

| メイン |