『女優X 伊沢欄奢の生涯』
2015/08/01(Sat)
1993年 文芸春秋発行、夏樹静子著『女優X 伊沢欄奢の生涯』を読みました。
 数日前、山登りで知り合ったMさんご夫婦が、たくさんの本を処分したいのでといわれて、とりあえず、いただいてきて、私が寝室にしている部屋の一間幅のタンスの上に余すところなく一杯積み上げてあります。先日、西区に開館したばかりの新館に移動になった人から、「図書室に図書がないのでサマにならなくて・・・」と連絡を受けて、我が家からも読み古した子供向けの本を届け、少しは家の中もすっきりしたと思うまもなくの頂き物で、本は天下のまわり物よろしく、寝室まで本に取り囲まれて、当分はとても満足です。
 ながくかかる煮物から離れられないのでと、偶然手にした本でしたが、出だしから、なんどかたずねたことのある津和野の町並みの描写でしたので、興味をそそられ、そして作品にひきこまれ、あっという間に読み終えました。
 大正7年、『ヴェニスの商人』で初舞台を踏み、舞台女優として歩み始め、島村抱月を追って自殺した松井須磨子の亡きあと、昭和3年6月8日満38歳、脳出血で死去するまでの約十年間、新劇を支えた代表的女優伊沢蘭奢という人のお話です。
彼女は、山口県の津和野で、紙問屋の娘として生まれ、東京で日本女学校を卒業して、同じく東京の学校を出て東京で薬屋をしていた、津和野の薬屋の跡継ぎ伊藤冶輔と結婚。そのまま二人で東京で暮らします。子どもの出産のために津和野の薬屋に帰り男児佐喜雄を出産しますが、3ヶ月のち、東京にいる夫冶輔の病気のためまた東京に行くことになります。薬屋では、三代とり子とり嫁がつづき、100年目に当家で生まれた子どもということで、佐喜雄を連れて行くことは許されません。
 東京では、商売がなかなかうまくいかない冶輔が、家を空けることも次第に多くなり、よく遊びに来ていた冶輔の遠縁の15歳の学生福原駿雄(後の徳川無声)と恋仲になってしまいます。いよいよ東京での冶輔の商売が行き詰まり、5年後二人して津和野の薬屋に帰りますが、長い間別れていた佐喜雄は彼女にはなつかず、奥の座敷でひとり縫い物ばかりの生活になります。そんな日の続くなか、東京で見た松井須磨子の『人形の家』のノラを思い、実家の両親に相談して、離婚の交渉をしてもらって、東京に出てゆきます。
 東京に出て、兄夫婦をよりどころに、貧しいながらも自分の夢を追いかけて、女優になり、大女優と認められるようになっていく10年間は、新劇の勃興期とも重なり、少し前の広島ラフカディオ・ハーンの会のとき、風呂先生が「新劇の父」として紹介された小山内薫などの活動とも平行して語られてゆきます。物語の最後女優伊沢蘭奢の急死によって、彼女の所属する新劇協会は、昭和4年6月「伊沢蘭奢一周年忌・創立十周年記念公演」を最後に幕をとじ、彼女のなくなった年の暮れ小山内薫も、享年48歳で急死します。創作劇中心の新劇協会に対して、翻訳劇中心の華々しい活躍をした築地小劇場も彼の急死からまもなく、昭和4年3月に分裂してしまいました。
 東京に出るとき、津和野に残した息子が成長し、彼女が本名である「三浦しげ」に「子」をつけて出演した映画を見て、手紙をよこしてくれ、そして出会い「お母さん」と当たり前のように何度も呼んでくれたことで、思い残すことのない死であったようにも思えました。
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