『梅桃(ゆすらうめ)が実るとき』
2015/08/04(Tue)
 昭和60年12月初版、平成9年5月第9版 文園社発行、吉行あぐり著『梅桃(ゆすらうめ)が実るとき』を読みました。
 1997年(平成9年)に、NHK連続テレビ小説で「あぐり」として放映されたのは、この本が元だったのではないでしょうか。
この書は、吉行あぐりが、昭和60年78歳のとき、それまで何社かの出版社から、たびたびたのまれても断っていた自叙伝の執筆を、やっとのことで引き受けてできたということです。
 明治40年、岡山市で、弁護士の松本豊の四女として生まれました。三女はすでに亡くなっていて、下に妹、弟2人が生まれています。女中やばあや、車引きなどのいる大所帯で豊かな暮らしの中で育てられました。
大正9年、岡山県立第一岡山高等女学校に入学したとし、流行っていたスペイン風邪に罹り、長姉・次姉・父親が、相次いでなくなり、それからは、女手ひとつで、財産を切り売りしながら、育てられます。
 大正12年、女学校在学中に、通学を許可されたままで、土建業吉行組の不良息子の吉行エイスケと結婚。翌年、淳之介ができたため中退します。
 大正14年、文学の勉強をしている息子のいる東京に、淳之介を残して上京するように言われて、一人で上京します。
夫エイスケは家にいることも希で、もともと一人暮らしになれたエイスケへの世話もほとんど必要でなく、なすこともなく、アメリカから美容術と化粧術を学んで帰ってきた美容師の草分けといわれた、山野千枝子のもとで2年間苦しい修行をし、そのあとお礼奉公もあと少し残して、肋膜を患い、1年近く療養生活を余儀なくされます。
 昭和4年、吉行の実家では、エイスケを跡継ぎにすることはあきらめ、市ヶ谷に130坪の土地を買い、美容院を持たせてくれることになりました。モダンな「山の手美容院」が開店します。そのとき、エイスケの母親が夫と別居。淳之介を連れて上京、美容院の隣に新しく建てられた住居での同居が始まります。店は順調に大きくなり、弟子も増え、支店も3店舗になります。
 昭和10年に長女の和子、
 昭和14年に次女の理恵が生まれます。         
 昭和和15年、夫エイスケが、妊娠した女性や膨大な借金を残して死んでしまいます。このときには、15歳の淳之介は腸チフスにかかって飯田橋の警察病院に入院中、4歳の和子は喘息のため伊藤に転地療養中でした。
 昭和19年、姑が56歳で他界。
その間、吉行組を継いでいるエイスケの弟謙造が上京して、金魚を飼うために庭に池を掘ってくれ、さらに戦時中は、そこに防空壕を掘ってくれたりします。
 この本が出版される昭和60年には、78歳ですが、週3日くらいはお店を開けて古くからのお客の美容をしておられたようです。
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