『魚河岸ものがたり』
2015/08/17(Mon)
 昭和63年、新潮社発行 森田誠吾著 『魚河岸ものがたり』を読みました。
 物語の最初のほうは、魚河岸の《巨大な都市の巨大な食欲を充たす市場》全体の活気を作り出す人々の雑多な日常をえがきながら、雰囲気を読者にも共有してもらおうという意図か、散漫な書き出しに思えて、焦点がなく単細胞の私にはお手上げ状態でした。ところが、物語の最後に、このきっぷがよく、誰でも受け入れることができ、人のいい人たちのあつまるこの魚河岸を舞台にしたからこそなりたつ、どんでん返しがあります。
 魚河岸に、老舗のかつぶし屋吾妻商店の奥さんとその息子の健作2人が警察にしょっ引かれていくという大事件が発生します。
そしてこの二人の供述書が、この物語の焦点であることに気づかされるのですが、やはり、この魚河岸の人たちがいてこその物語という味わいです。
 実は、この吾妻健作を名乗っていた男性は、吾妻健作ではなく、淡路桂一郎という京都出身の男性でした。彼と吾妻健作とは、京都での大学時代の友人で、東京を旅したときには東京の吾妻健作の家にひとりでも何度か泊めてもらっているほどの仲でした。
そしてあるとき淡路桂一郎が旅の途中、東京で吾妻健作の家に泊まり、明日帰ると京都の小学3年のときから引き取られていた叔父に電話を入れたときのことです。5日ほど前に警察から人がきて、「お前がいるか、どこに行ったか」と尋ねるので旅行中で所在はわからないと答えておいたが、お前は九条の方に家を借りて爆薬のようなもの作っていたそうではないか、と食ってかかるのでした。その夜、しばらく外国に行くと、健作からも母親に電話がかかってきて、健作が京都にいたとき、桂一郎に、電話を引くといって住民票をもらって借りた家から、学生運動で家宅捜査を受けたとき、爆発物などが見つかったことから、桂一郎が警察に追われている事情がわかり、息子の罪をかぶって行き場のない淡路桂一郎を、吾妻健作と名前を変えさせて、世話をしていたのでした。
 もともとかつぶし屋吾妻屋の奥さんは、大学で発酵の研究をしていたのに、跡継ぎの長兄がシベリアで病死したので、あとを継いでいた夫も亡くなって、店は番頭さん任せで自分は青山に住んでいました。桂一郎が泊めてもらったのもこの青山だったのですが、このことがあって、清閑な青山では、淡路桂一郎を隠し切れないと思い、この魚河岸に移り住んでもらってかくまったのでした。
 淡路桂一郎は成績もよく、ご指導の先生の跡継ぎになられるとも聞いておりました、とも供述されているほどの人なので、不審に思う人もなさそうなので、近所の子どもを集めて、勉強を見てやっていました。そのなかに、長じて彼を慕うチャーミングで賢明な女性に手紙で結婚の申し込みを受けます。 警察にしょっ引かれるという事件の後、彼女に自分の秘密を明かし、時効になった健作の消息を明らかにして、あなたの気持ちに応えたいと手紙を送るのでした。
 京都と東京の対比もおもしろく読めました。健作と桂一郎はお互い、その気風の長短を持ち合わせていたのに、やり取りを重ね友情を深め合ううち、この住民票の依頼理由をはっきり言うはずの健作が理由を電話に転じ、一方、排他性を克服し住民票を潔く貸してしまうという二人の性格の逆転をまねく部分もまた友情のなせるいたずらだったのでは、と思いました。

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