『火花』
2015/09/02(Wed)
  又吉直樹著 文芸春秋より2015年8月15日大7刷発行の『火花』を読みました。
 著者の又吉直樹については、テレビでほとんど娯楽番組を見ないので、見たことはあるのに、この人の名前も何をする人かも知らず、話題になって初めてお笑い芸人さんであることを知ったようなことでした。そこで最後にある著者略歴を写します。
  《著者略歴 1980年大阪府寝屋川市生まれ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑い芸人。コンビ「ピース」として活躍中。著書に『第2図書係補佐』『東京百景』、せきしろとの共著に『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』田中象雨との共著に『新・四字熟語』がある。》
  テレビのインタビューに答えて、途中で挫折していった人も含めて同じ時代に同じ劇場で共に戦ったすべての人を誇らしく思う。皆ががんばって競い合ったから、残った人たちの芸があると思うと、素直に語っているのに好感が持てましたし、そのようなものなのかとも思えました。この言葉は作品の中の人物にも語らせています。
 作品はお笑い芸人の主人公徳永が熱海の花火大会でのお笑いの仕事で散々な舞台を終えたとき、そのあと出演した神谷に奢ってもらったところからはじまります。神谷の伝記を書くという条件で彼に弟子入りすることになります。彼の独特の笑いへの感性や、徹頭徹尾笑いの芸人として生きようとする熱心さに追いつけないものを感じる一方で、徳永自身の他人にないものを見つけて評価して励ましてくれたりする優しさにひかれ、たまにある舞台やアルバイトやネタ合わせを終えて、暇さえあれば会って飲食を共にします。
 そのうち、徳永に舞台の依頼も増えてきて、テレビにも出演できるようになり、実家にも送金する夢も果たせそうになりますが、神谷がそれらの番組に呼ばれることは最後までありませんでした。あるとき、徳永の出演テレビを見た神谷は、お前の良さが出ていないとぽつりと言います。しかし、徳永は神谷の天才的な笑いの素質を認めながらも、芸が世間に受け入れられることの意味を説きます。
 《神谷さんが相手にしているのは世間ではない、いつか世間を振り向かせるかもしれない何かだ。その世界はこどくかもしれないけれど、その寂寥は自分を鼓舞もしてくれるだろう。僕は、結局、世間と言うものを剥がせなかった。本当の地獄と言うのは、孤独の中ではなく、世間の中にある。神谷さんはそれを知らないのだ。》と、世間の観念とも戦う自分との違いを悔しくも思うのです。神谷は、業界から見放されつつあり、高額の借金に追いまくられる生活に陥っていきます。そして相棒の大林や徳永の心配をよそに行方知れずになります。
 やがて、徳永の時代は去り、中学時代からの友人で相方の山下が結婚するのを機に解散ライブと、打ち上げをやることになります。そこに神谷が姿を現してくれます。改めて、二人で会うと、胸にシリコンを入れて巨乳になって笑いをとろうとしていると打ち明けられ、徳永はショックを受けます。神谷さんにはそのような気持ちがないことはわかっていても、笑いが時として多くの人を傷つけることがあることを強く言い、そのような出来事も神谷の伝記ノートに書き記すのでした。
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