第181回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2015/09/13(Sun)
 一昨日、安佐市民病院に入院していた夫が退院してきました。
 5月にマダニにかまれて以来、身体の調子が悪く、9月1日についに入院して治療を受け、すこし調子が良くなったので、来月はきっと行けるからと、ハーンの会へ送り出してくれました。

 ハーンの会のニュースでは、安倍普三首相の戦後70年談話での「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」という文言について、
 《加害者がそんなに一方的に謝罪を打ち切ることが出来るものであろうか。また、世代を超えた日本人としての繋がり、生き方をどう考えているのか。特にこの箇所は、まったく以って理解不能の支離滅裂な内容となっている。最近頓に力を増していると謂われる極右翼グループの勢いにおされたのか、一国を代表する首相の発言としては、誠に思慮がなさ過ぎる。残念である。》とのメッセージがありました。まったく同感です。このような気持ちを共有できる会であることにほっとしました。
 《読みたい本》では、ローエル/川西瑛子訳『極東の魂』(公論社、昭和52)があがっています。きょう午前中、『ラフカディオ・ハーン再考 百年後の熊本から』の56ページを読みなおしていて、ハーンはパーシヴァル・ローウェルの『極東の魂』などを読んでいよいよ日本行きの気持ちを強くしたという記述に出会ったばかりでした。この6章「芸術」に、極東民族の精神の特色を“impersonality”「非個人性」とのべているそうです。ハーンもそれは認めながらも、しかしこれが西欧人にない日本人の魅力であるといいます。ハーンの最後の著作『神国日本』の「新奇及び魅力」にもローウェルの言を下敷きにして自分の観察によって日本人研究を進めています。さらに「回想」では、《――近年日本は無闇に『個人主義の福音』を要求していると断言されたことが屡々あった。(これは主に、パアシヴァル・ロウエル氏の『極東の精神』“Saul of the Far East”が与えた深い印象の故であった)そして多くの敬虔な人々は、この国を基督教国に改宗せしめれば、個人主義を生ずるに足りるであろうと仮定している・・・・・》から、数枚の紙面をさいて日本人について述べています。風呂先生がニュースに、ハーンがパアシヴァル・オウエル氏の『極東の魂』から日本人観形成にヒントを得ていると言われるのは、これらのことであろうかと思いました。
 《事務局の本棚に加わった本》では、『英語化は愚民化』・『英語の害毒』がありました。
 『ラフカディオ・ハーン再考 百年後の熊本から』のどこかで、明治政府内の大臣の中には、英語を国語にしたほうがいいと考えていた人がいたという部分を読んでびっくりでしたが、現在このような本が出回っていることもさらに意外でした。まあ読んでみないことにはなんともいえません。
 会では、前々回から『心』のなかの「旅日記から」の学習をしています。前々回は“self control”「自己抑制」。前回では、“shadow”に着目した美術論。この3回目では、最後の《ここを造った仏家の庭師は、おそらく、いっさいの栄華も、権力も、美貌も、けっきょく最後はこの寂滅にいたるものだということを、見るものに語ろうとしたのでもあろうか。》で、諸行無常を語っている。併せて、出だしの《日本固有の美しいもののなかでも、最も美しいものは、どこか小高い場所にある、神社とか休み場所などへ行くまでの途中の道》この美しさの解説にやはり美術論が出てくるとのお話でした。この文は、彼のほかの作品で、行き着くとこころにお宮があり、なかには、像も経典もない、そこへの参道について記されたものを思い起こします。いい加減にしか覚えていませんが、この文章が大変好きで、この道こそが、仏道であり神道であると思ったことを思い出していました。
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