『ラフカディオ・ハーン再考 100年後の熊本から』 4
2015/09/18(Fri)
 5 第五高等中学校とハーン  今江 正知 (熊本大学教養部環境科学教授)

 この章では、環境科学の先生だけあって、写真3枚・図が3枚・表が6枚あります。
 3枚の写真は、当時の第五高等中学校の赤煉瓦本館を、正門を入れて写したものです。もう一枚は、現在の赤煉瓦本館で、熊本大学五高記念館で、あたりの樹木が重みをまし美しい写真です。後一枚は、ハーンが愛した石仏付近からの五高創建当時の全景の眺望です。
 明治19年の「中学校令」により、全国を5区に分けて、各区に高等中学校を1校づつ設置することが定められ、1区東京大学予備門、2区東北仙台、3区京都の大阪大学分校、4区北陸金沢、5区やっと20年に熊本が決定しました。建設資金10万円のうち県が8万、細川侯が1万、県内の有志からの寄付が1万、明治20年6月、第一高等中学校校長の野村彦四郎が赴任してきて、仮事務所を開設し、現在の熊本大学黒髪キャンパス北地区に高等中学校では最大の広さになりました。校舎が完成するまで、熊本城の一角の校舎が使用され、生徒の募集は8月からで、10月から学力の詳しい査定受験が数週間かけて行われたのでした。明治23年10月10日に新しい校舎の開校記念式が行われ、やっと本科生15名が誕生します。
 ハーンは、このように、高等中学生としての学力を有している学生がまだ少ない明治24年9月に赴任するのです。
 明治の書物にはこれまで数多接してきて、明治5年に太政官から学制が発布されたことは、中学校のとき教わり、寺子屋が学校に変わり、全国民が教育を受けられるようになったという意識しかなく、具体的にこれらの学校が、いつごろどのように発達していったのかについては、詳しい実情や、過渡期的に呼び名がいろいろあって、それらの学力レベルがどのようであったのかについては、この章の、具体的な明治6年及び明治25年の学校系統図や、学校数、学校の教員数、生徒数とその身分の把握数などとそれらの年別推移表により初めて具体的にわかってきました。
 ハーンが明治23年4月4日に横浜にたどり着き、それから、8月30日に松江にどのような交通手段でいったのか、到着して9月3日に松江に尋常中学校、師範学校に勤め始めたときの、それらの学校が、どのようであったか、刻一刻と変化する交通事情と、学校事情に疎くてはハーンの置かれていた状況がわからないことになります。松江では英語のできる、師範学校の西田千太郎、師範学校の中山弥一郎がおり、2校とも島根県立で島根県では最高学府です。県庁もすぐ近くにあり、県知事とも交流があり厚遇でしたが、国立の熊本第五高等中学校では国の決済が降りない限り、人事も給料もわからず、連絡不十分の為、それが熊本での思い出が辛くなったという事情がわかってくるのでした。
 五高の校友会組織龍南会の紹介があります。『龍南会雑誌』の第一号が発行され、そのなかに、ハーンの北米出版物にある、彼の出生地や経歴、初めて世人の注意を引いたStray From Strange Literatureと称して東洋の譚話を英語の華文に訳したものがあることも紹介をしています。また、習学寮という全寮制でも、1973年の『習学寮史』に「先の五高教師ラフカデオ・ヘルン、今文科大学講師小泉八雲氏一書を著し題して極東通信といふ。中にわが五高に就き表隲せる一篇あり。曰く、『予が九州学生と接せし感想は、初めて出雲の学生と相知りし時の感とは痛く異なれり。彼らは既に日本少年の愉快にして可憐なる時期を過ぎ、熱心にして沈着なる青年の時期に入りしが故のみにはあらず。又彼らは所謂九州気質というものを著しく代表せるを以ってなり。九州は今猶疇昔の如く、日本中最も保守の地方にして、その首府熊本は実に保守感情の中心地なり。又熊本人の特質としてその言語、動作に於いて一周不覊なる樸訥の風あり。云々と』」とあることも紹介されています。
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コメント
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あかね様
 8月にお届けした本の中に、長谷場夏雄著「かけがえのないあなたへ」も入れた気がするのですが、もし思い違いでなければ、9月27日の志村様ブログを読んで下さい。
環境や諸事情には違いが大きいのですが、子どものより良い明日を願い、子ども達と深く触れ合っている立場に、長谷場氏と心通じるものがあるように思いましたので、年月は経過しましたが、あかね様にも読んで頂けたらと思った次第です。添付のDVDだけは此方に残してあるのですが、心に触れる点がありましたら、志村様の記事を参考になさって下さい。思い違いが有りましたら、どうぞお許し下さいね。
2015/09/27 21:36  | URL | みどり #-[ 編集]
- コメントありがとうございました。 -
11時前、裏山から下山して読ませていただき、すぐにDVDを見させていただき、夫にも見せ、さいごに構成が志村建世になっていたので、あわてて志村さんのブログも読ませていただきました。
 とてもいい内容でした。本もすぐに読ませていただきます。
 本当にありがとうございました。
2015/09/28 13:04  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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深山あかね様
 ご夫君ご入院中で、お仕事帰りなど病院へ寄る等で、さぞお疲れと思います。予定通り2週間でのご帰宅が出来たら幸いです。マダニという虫の毒性には凄い力があるのを知りました。何もできない私ですが、あかね様もどうぞお大事になさって下さいね。
ご夫君ですが、点滴の期間中お食事抜きとは思いませんが、制限食が続いたり、満足なお食事もできないことと思いますが、少しでも気持ちよく食べられるといいですね。
 ご夫君の一日も早いご快復、ご無事な帰宅とブログ再開をお待ち申しております。どうぞ、よろしくお伝え下さい。
2015/10/03 22:48  | URL | みどり #-[ 編集]
- 心配していただいてすみません -
 コメントを読むのが遅くなってしまいました。国勢調査員を受けてしまって、なんだか落ち着かなくて、つい本も心から読む気になれず、ブログを開く気にもなれず、鬼のいぬ間の洗濯よろしく、片づけをしたり、次の食事のことを考えて、食事の下準備をしたりして、また友だちをたずねたり訪ねられたり、夫の病院へ行ったりしています。
 今日は午後びっちり仕事があるのに、午前中広島の県病院に早朝から耳の検診に行き、耳の中に水がたまっているということで、電気麻酔をして、切開手術をしていただきました。何しろ日本で5本の指に入るという耳鼻科の先生なので、いつも恐れ入っているのですが、今日は聞こえについて具体的な実情を聞いていただけました。なんだか先生はクスクス笑って、治療方法を私の希望にあわせて下さいました。やっぱりこの先生は偉大だと思いました。このような時も、自分で気合を入れて作ったお弁当を毘沙門様の広場で一人で食べました。なんだかうれしくて涙が出そうでした。
 夫は、あす、知り合いの方の裁判があるので、原稿を打って病院に取りにきていただいたそうですが、大好きな古江のイチジクを食べてがんばったようです。点滴を受けれている間は、調子がいいようです。
2015/10/05 22:33  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
- 追伸 -
「かけがえのないあなたへ」は、すぐに読ませていただきました。付録のDVDもあったことはすでに申しましたが、みどりさんのうちにはありますか?このDVD。さすが元NHKの名プロデユーサー。すごいと思いました。みどりさんがおっしゃて下さったように、心に響くものがありました。こんどゆっくりブログにその部分を記録しておこうと思います。
 読み終わって、資金援助をしてくださる方への御報告となっていましたのに、私ごときが読ませていただきいたことに恐縮いたしました。
2015/10/05 22:45  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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