『ジョン万次郎漂流記』
2015/11/19(Thu)
 井伏鱒二著 『ジョン万次郎漂流記』2011年第8刷発行の、偕成社文庫 を読みました。
 Mさんに頂いた本の中から、井伏鱒二フアンの夫が最初に選んだ本です。
 万次郎は、15歳のとき雇われて5人で漁に出ます。途中暴風雨にあい、船は難破し、小さな無人島に漂着しアホウドリなどを食べながら約5ヶ月生き延びます。しばらくして、通りかかったジョン・ハウランド号に助けられてハワイに上陸します。一緒にいた4人はハワイに残り、ジョン万次郎はホイットフィールド船長に気に入られて、アメリカ本土に上陸。船長と一緒に暮らしはじめます。万次郎は積極的にアメリカでの生活に取り組み、働きながら仕事を覚え学校にも行かせてもらい勉学にも励みます。当時にわかに起こった金の採掘のゴールドラッシュにも挑戦し、お金を稼いで「アドベンチャー号」を買い入れ、ハワイのホノルルにいる仲間に会いに行き船ともども上海行きの商戦に載せてもらって一緒に帰国の途に着き琉球に上陸することができました。そのあと琉球の番所や薩摩藩や、江戸幕府の長崎奉行所でも尋問を受け、キリスト教でないかどうか踏み絵を試され、迎えに来た土佐藩の役人と土佐にかえり、ここでも尋問を受けて、やっと生まれ故郷に帰ることができました。
その後、外国船の来航などによる日本の混乱の中で、英語の堪能なジョン万次郎は幕府や新政府のために活躍します。
 文中、ジョン万次郎が、10年ぶりにハワイに行ったとき、ハワイの発展した変貌に、驚く場面があり印象的に読みました。
ハーンの作品を通しても、アメリカの発展変貌していく姿を感じる場面がありましたが、今までの読書では、外国のそのように発展変貌して行く姿に触れることが少なかったことに気づかされました。
 また、咸臨丸が1860年、37日をかけてアメリカを訪問したときの、アメリカの各新聞社の報道の抜粋があります。それらの記事を井伏鱒二は、
 《当時の日本人の印象を、アメリカのジャーナリストがひじょうに好意ある目で書いた記事がある。『カリホルニヤ開化秘史』には各新聞社の記事を抜粋してあるが、どの新聞の記事も珍客日本人に対して好意をもち、日本人の物堅い風習に好奇のまなこをもって観察をくだしている。その2,3の例を、次に抜粋する。》と6つの記事を載せています。個人名としては、日本海軍の主将》木村攝津守、艦長勝麟太郎、通事中浜万次郎があげられています。これら新聞記事のなかでの、日本人へのリポーターは、アメリカの新聞記者であったラフカディオ・ハーンが来日して、日本人に対する感想をレポートしたものと大差ないように思えます。
万次郎は、琉球に上陸して以来、多くの人にアメリカのことを質問されて答えてきましたが、ほとんど理解されなかったと思えます。ここにはじめて、すこし理解を共有できたのではないかと思えます。


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