『ラフカディオ・ハーン再考 100年後の熊本から』6
2015/12/10(Thu)
 7 外国人と熊本         猪飼 隆明 (熊本大学教養部歴史学教授)

 ここでは、【近代日本と欧米列強】・【「御雇外国人」の活動】・【熊本と「お雇外国人」】・【対外硬運動と熊本国権党】・【ハーンと熊本】、というように、明治半ば過ぎ当時の日本の状況と、それに必要とされた「お雇外国人」の活動、それが一地方の熊本での状況はどうであったのかが順をおって、わかりやすく説明されていて、そこでのハーンの思いはどうであったかという状況が浮かび上がってきます。
 あらためて、認識させられたのは、ハーンが熊本に赴任したのが明治24年で、10年には西南戦争が7ヶ月にわたって戦われ、熊本の町は焦土と化して10余年と間がなく、美しく落ち着いた町並みの松江とは比べるべくもなかったということでした。
幕末からの幕藩体制を揺るがす商品作物の商業化がすすんでいたことに加えて、黒船による鉄と石炭を中心とした資本主義が日本に入ってくると、軍備の増強などの必要性から、すでに幕府と諸藩をあわせて、200人くらいの外国人を雇っていました。新政府になると、さらに日本は東アジア世界では最も早く、すすんだ生産力と、交通手段、軍事力と、新しい国家体制を目指すようになり「知識を世界に求め大いに皇基を振起すヘ可し」という五箇条のご誓文への課題から、「お雇外国人」への期待がますます高まってくるのでした。
 明治18年の官庁御雇外国人国別統計表と、未定稿ながら御雇外国人官庁別統計表があり、英・米・仏・独ほか八カ国におよび、それへの手当てが莫大なものであることが見て取れます。
 一方、熊本では、藩校であった時習館出身の学校党から、横井小楠の豪農層を中心とする実学党へと実権が代わり、この実学党の開設した洋学校に明治4年にむかえられたアメリカの元軍人L・Lジェーンズをはじめ「お雇外国人」が多くの分野に大きな影響を与えましたが、ハーンを迎える明治20年ころには、それら強くキリスト教の影響を受けた勢力が政治的環境の影響を受けるようになり、さらに、教育勅語が渙発され、明治憲法体制が整った時期と符合し、極端な欧化主義が反省され始めた時期であったということです。とりわけ、「お雇外国人」の巨額の国家予算軽減への思いもあったのではないでしょうか。これら欧化政策の実績についてのハーンの分析を、明治26年から27年に彼が執筆した「柔術」のていねいな引用から知ることができます。
 総論として、《「外国人に国を開放することの真の危険は、国内にどっと流れ込んでくる数の多寡の問題ではない」「何か漠然としたなかに危険を悟った」「民族本能」にこそ「心理」があっとのだと指摘するのである。ハーンは、このように、必ずしも論理的でない感情の保守主義に共感をおぼえた。》が引用されています。
 この章を読んで、このブログ記事を書くまでずいぶん月日が過ぎました。その間、欧化への思いとしては、とおく織田信長以降の鎖国にいたる道筋を思い浮かべます。お互い交易などを求めての交渉でしたが、それが複数であった為に、お互いが自国の優位性、あるいは宗派の優位性を主張してそのほかをけん制する意見を述べるのを聴くうち、日本の独自性をも気づかされていったのではないかとも思えるのでした。

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