『ラフカディオ・ハーン再考 100年後の熊本から』 8
2015/12/12(Sat)
 9 マニラ行きの夢  西 成彦著(熊本大学教文学部比較文学助教授)を読みました。
 ハーンの熊本の生活のなかでの夢について語られています。
 ハーンは11月に熊本にきましたが、年が空けて、1892年2月に、一時帰国のためにマニラに寄り、暑さのためにまいっているというチェンバレンから手紙を受け取ります。それがきっかけとなって、マニラ行きを夢見るようになります。
 夢はかないませんでした。
 この夢の内容について著者はさいごに《ラフカディオ・ハーンは「南の島」にただ憧れただけのロマンチストではなく、「南の島」の美しさに魅せられながらも、その美しさがどのようにして踏みにじられていくものか的確に見通すことのできた懐疑的な文明批評家だった。ただ古き良き日本の理解者としてのハーンという角度からだけでなく、より広い世界的な視野の中で日本をとらえようとした柔軟な頭の持ち主としてのハーンから、われわれが学ぶべきことは多い。》と述べています。
 ただ、あたたかい「南の島」というだけでなく、当時のフィリピンでは、スペインからの独立運動がわきおこりつつあったのです。熊本から、神戸そして東京に行ってもその夢を捨てず、さらにフィリピン情勢が悪化する中で、友達のアメリカ軍の主計官であるミッチェル・マクドナルドに、《あなたがマニラ作戦に急行するのなら、わたしも同行したい。そして事の顛末を活写したい。》と書簡を送っているとのことです。この、事の顛末の活写ということについて、ハーンは、以前からフランスの軍人で作家のピエール・ロチを敬愛(もしくはライバル視)しており、彼の、長崎を舞台にした『お菊さん』や、ベトナムのフランス人と現地人の衝突を描いた小説を英訳したこともあるといい、その向こうを張っての小説に挑戦したいと考えていたのではないかとも述べられています。
 広島ハーンの会では、会員のメンバーに英語の先生が多いせいか、わたしはつい英語教師としてのハーンを中心に考えがちでしたが、このあたりを読むと、彼は、作家としての、というより、レポーターとしての自己表現に人生をかけているということを思わされます。そのレポートする対象は、近代化によって滅び行く民族の古くからの素朴な信仰や生活習慣にあったのではないかと思いました。
 それらの鋭い観察から、著者がさいごに述べた《より広い世界的な視野の中で日本をとらえようとした柔軟な頭の持ち主としてのハーンから、われわれが学ぶべきことは多い。》ということに関して、近代化が推し進められる中で西南戦争の勝利に沸く熊本のようすを見、さらに日露戦争にすすもうとする日本が、37年後日本軍がマニラを占領することとなったが、ハーンにはその予感もあったのではないかとも述べていることは衝撃でした。
スポンサーサイト
この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
<<『ラフカディオ・ハーン再考 100年後の熊本から』9 | メイン | 『ラフカディオ・ハーン再考 100年後の熊本から』7>>
コメント
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://yamanbachindochu.blog106.fc2.com/tb.php/824-ae1a35b5

| メイン |