『ラフカディオ・ハーン再考 100年後の熊本から』10
2015/12/14(Mon)
 11 身辺雑話の蒐集 熊本を描いた作品から  中村青史著(熊本大学教養学部国文学教授)を読みました。
 これまで読んだものの中に扱われていた作品で、読んだことのないものもありましたが、この章での作品『心』の「願望成就」という話には、涙を誘われました。
 志望して熊本の連隊にやってきたという松江での教え子が、ハーンを訪ねてきた話でした。《爽やかな夏の宵闇がどっぷりと暮れおちるまで、語り続けた。》・・・・・
《「先生、もうおいとまいたします。きょうは、じつに愉快でありました。お礼の申しようもありません。ところで・・・・」といって、胸から小さな包みをとりだして、「これをどうかお納めになって下さい。いつぞや先生、自分の写真をとおっしゃいましたから、きょうは記念に持って出ました。」そういって起ちあがると、剣をつけた。わたくしは玄関で、浅吉の手を堅く握りしめた。
 「先生、朝鮮から何をお送りしましょうか?」と浅吉は聞いた。
 「手紙をくれればいいよ」とわたくしはいった。「こんど大勝利があったらね。」
 「筆がとれましたら、かならずおたよりします」と浅吉は答えた。
 それから、銅像みたいに直立不動の姿勢をとって、軍隊式の敬礼をすると、浅吉は闇の中へ大股で去って行った。・・・わたしは汽車の音に耳をかたむけた。その汽車は、たくさんの若い心と、かけがいのない忠義と、りっぱな信念と、愛と、勇気とを満載して、シナの稲田の疫病と、渦巻く死の旋風とを目ざして行く汽車であった。・・・地方新聞に発表された、長い戦死者名簿のなかに、「小須賀浅吉」の名を発見した日の宵のことである。万右衛門は、客間の床の間を霊祭のためにいろいろと飾りつけて、灯明をそなえた。花瓶には盛り花がいっぱい挿され、いくつかの小さな灯明ランプには灯がともされて、唐銅の小さな線香立てには線香が焚かれた。支度が万端ととのったところで、万右衛門は、わたくしのことを呼んだ。わたくしが床の間のまえへ行ってみると、そこの台の上に、浅吉の写真がちゃんと立ててあり、写真のまえのところには、米、果物、菓子など、こまこましたお盛り物がちんまりとならべてあった。万右衛門老人の心づくしの供え物である。
 万右衛門は、おそるおそる畏まって、こんなことをいった。「きっと何でございますよ。旦那さまがなにかひとこといっておあげになると、浅吉さまの魂が喜びますで。浅吉様は、旦那さまの英語がおわかりにならっしゃるでな」
 わたくしは浅吉に話しかけた。すると、浅吉の写真が、香華のけむりのなかから、にっこりとほおえんだようであった。自分のいったことは、死んだ浅吉と神神だけに通じることであった。》こんなお話でした。
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コメント
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『その汽車は、たくさんの若い心と、かけがいのない忠義と、りっぱな信念と、愛と、勇気とを満載して、シナの稲田の疫病と、渦巻く死の旋風とを目ざして行く汽車であった。』
浅吉さんの死を予言するかの思いが綴られていますね。別れに来てくれた教え子のことを思う気持ちが滲んでいます。
ハーンは浅吉を祀る仏前に何を語りかけていたのでしょう。哀しさ悔しさ、色々考えられますが、誰にも語れないこととして戦争への嫌悪感があったように思えます。人間一人一人を優しいまなざしで見つめ続けたハーンという人が、戦時体制をどう考えていたのか、知りたい気持ちになっています。
2015/12/15 00:09  | URL | みどり #-[ 編集]
- みどりさんへ -
 著者は、ここにハーンの反戦への気持ちを込めていることを読み取っています。
 ハーンは、このころの世界の情勢と、そこここで展開される庶民の生活とを想像できる情報をじゅうぶんに持っていたと思えます。
 官費で雇われていて、国内において多くの規制にある彼は、この話を日本人にではなく、西欧の人々へ英文で発信したのです。これを読んだ当時の西欧の人々の思いにも関心がわきます。
2015/12/15 08:55  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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