『ラフカディオ・ハーン再考 100年後の熊本から』11
2015/12/15(Tue)
 12 怪談 日本の古典文学とのかかわりから 荒木 尚著 (熊本大学文学部国文学教授)を読みました。
 怪談「耳なし芳一」への考察です。
 怪談ばなしは、もう大人になったわたしたちからは、とおい過去の景色のように思えていますが、この考察を読みおわってみると、怪談「耳なし芳一」がいかに素晴らしい作品であるかを感得することができます。
 数年前、夫婦で、九州に旅行しました。
いま、源平合戦に端を発する物語に思いを馳せていると、この旅行での思い出は、広島から、青い海に浮かぶ平清盛創建の宮島の赤い鳥居や社殿。下関の渦巻く海峡。そして、美しい赤間神宮本殿や水天宮、そして、横に回って耳なし芳一像や、平家一門を祀る塚を思い起こします。
ここ考察では冒頭、司馬遼太郎の『街道をゆく』「長州路」を引用して、わたしの旅行の思い出に色を添えてくれます。
 富山大学のヘルン文庫にある、ハーンが底本として読みこんだ多くの文献の引用を提示して、これらの作品からハーンがイメージをつかみ、作り上げたものがどのようなものであったかが考察されています。
 底本としては『曾呂利物語』(1663年)の「座頭、変化の物と頭はり合ひの事」「耳切れうん市が事」、『宿直草』(1677年)の「小宰相の局、ゆうれいの事」を改題板行された『御伽物語』、『御伽厚化粧』(1734年)の「赤関留幽鬼、附鶴都古塚の前にて琵琶を弾事」、『臥遊奇談』(1782年)巻之二「琵琶の秘曲泣幽霊」があります。
 作り上げたものは、導入の部分で、この海峡で起こった七百年前の合戦を呼び戻し、その怨念を持つ生霊が700年をすぎた今日までたたってきたことを事例を以って語りかけるのです。著者は
《記憶の彼方にある数百年前の古びた平家のハナシではなくして、現在ある場所の、そして実際の見聞をもととする信憑性を持った奇事怪異という新しい性格づけを試みているのである。ハーンはまた、平家の霊が安らぎを得られない時は、夜半に通りかかる舟のまわりに現れて、舟を沈めようとしたり、泳いでいる人達をねらって水中に引きずりこんだりする、とも書いている。・・・・このように論理的な話の筋を構築することによって、原拠の『臥遊奇談』巻之二「琵琶の秘曲泣幽霊」を中心とする江戸時代の平家怨霊譚に材料を求めながら、新しい一編のすぐれた作品に仕上げている。》と述べています。さらに、「おわりに」では、
 《ハーンは合理化された西洋近代にない、あるいは近代主義に汚染されていない明治の日本の、霊的な美しさに接してつよく心をひかれ、それを言わば民俗学的な眼でとらえた人であった。ハーンは日本の自然、日本の植物、そしてそれら天地万物をつつむ日本のあらゆる空間から、日本人の生活・風俗習慣、そして当時の日本人の中に生きつづけている民話・伝説にいたるまで、人間の属性を備えた怪異なもの、霊的なものが生きつづけ、住んでいることを見出した人であった》とあります。

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