続 『ラフカディオ・ハーン再考 100年後の熊本から』 1
2015/12/18(Fri)
 いままでブログで綴ってきた『ラフカディオ・ハーン再考 100年後の熊本から』が1993年に出版されるときから、つづけて続編をだすことは決まっていました。それから、5年7ヶ月たって、この『ラフカディオ・ハーン再考 100年後の熊本から』続編が出版されたのだそうです。
 私にとっては、まとめて2冊とも夫が手に入れていたのを読むのですから待っていたわけでもないのですが、熊本大学の当時の先生方が、5年7ヶ月のあいだ話合いを進めながら編集されたことへ思いを噛みしめながら本を開きました。
 なんと「あとがき」には、第三集への予告もあります。1999年のことですからもう出ているとは思いますが、それが我が家にあるのかどうか・・・。
 続編は十章までありますが、まずは、
 1、ハーンと九州―外国人の心をいかに探るか   平川祐弘
から、読み始めます。
 ハーンの作品に、松江中学での『英語教師の日記から』と、熊本での第五高等学校での『九州の学生たちと』があります。これらの作品をとおして、ハーンは、日本語がほとんどわからない外国人だったといわれていますが(私から見ると会話はよくできていたと思えるのですが)、彼が、どのようにして、日本の子どもたちに近づき理解しようとしたか、についての手引きとなる考察です。
 著者も外国研究者であるけれども、到底ハーンほどに外国人の心をつかみ得ていないという自覚があるのでと、この考察にかける思いを打ち明けられています。
 松江での『英語教師の日記から』は、広く読まれていて、私も読んで深く感動しましたが、ここでは、第五高等中学校での学生の話が中心になります。
ハーンが、中学で課題を与えての作文では、明治前期の作文教育の影響で、全員がパターン化した感想を書くが、高校では、少し大人びて、自分の考えを書いて提出するので情緒面での個性を知ることができるようになったといいます。そのなかで、
《「毎週私は、提出された作文の中で最良の何点かを選んで教室で朗読し、その場で英文を訂正した。特にできのよい英作文で、声を出して朗読し、クラス全体のために批評するには忍びない文章もあった。それというのは、機械的に一律に評釈してしまうにしては、あまりに尊い内面の事柄にふれている文章も混じっていたからである」》とのべ、そのあまりにも尊い文章の数編の紹介もあります。
これらの文章は、ハーンにとっては、日本人の学生の、情緒を知ることに役立つのですが、現代読む私たちには、明治期の学生の情緒を知ることができます。
《ハーンは、日本で中学生、高校生・大学生と3段階にわたって教えたことのある稀な体験の持ち主》で、中学、高校は、彼の作品からじゅうぶん伺えます。大学については、彼が東京帝大を解雇になったとき、学生たちが大学側にそのことで反旗を翻したことで、そして、教え子たちが、次々とハーンの著書を翻訳して彼に学び、広めようとしたことに、ハーンの日本人学生に理解を示そうとした心が見て取れます。
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