『小泉八雲―その日本学―』
2016/02/03(Wed)
 高木大幹著、詩『小泉八雲―その日本学―』を読みました。
夫の本棚にいつのまにかネットなどで購入した小泉八雲関連の図書が増えています。
その一冊です。
読み始めて、なかなかよみすすめないでいましたが、やっとどうにか読み終えることができました。
Ⅰ 序章「小泉八雲の日本学」への道程 1ドナルド・キーン氏の『日本文学を読む』(新潮社)に、日本人にとっては漱石は掛け替えのない作家であり、・・・・と、ドナルド・キーン氏の著作の引用文から始まります。そして、文中小泉八雲の著作の翻訳の引用文をはじめ、いろいろな作家の引用文に満ちています。
小泉八雲が日本をどのようなきっかけで知り、なにに興味を持って知識を深め、どのようなきっかけで来日したかを小泉八雲のアメリカ時代にまでさかのぼって書かれています。1861年におこったアメリカ南北戦争が終結して4年後のアメリカに19歳で渡って、来日するまでの約20年のあいだのことです。渡米後の彼の不遇な時代から、新聞社で文芸部長として、仏・独・露の作品を翻訳して名声を得るまでの関心事をたどってあるのです。
その間、『古事記』や『日本書記』による神道・仏教・儒教・道教などについての一応の知識を得ていたことが、書簡や蔵書などによって検証されてあります。
 ところが実際日本に来て、日本民族の暮らしぶりに接し、さらにそれに身を置いてみると、アメリカでいろいろな書物によって想像していたことと全く隔たりがあることを感じる自分に気づくのです。
 この心境を『心』のなかの「夏の日の夢」で、「浦島伝説」を題材に描いていることが述べられています。やっと近代化に目覚めてきた古き良き日本と、西欧の近代化の時間経過の速度との違いは、まるで乙姫様との竜宮城の生活と、玉手箱をあけたあとの自分のお墓さえ朽ちてよくわからないほどになっている現実世界の違いのようです。
 引用してある文章は、はじめて知るところの文献で持ち合わせていないものがほとんどですが、これについては、平川祐弘の翻訳ではありますが、原文にたちもどって読み返してみます。
 あらためて、小泉八雲の詩情あふれる文章の美しさにうっとりします。旅情とあいまってのこの筆致にすこし酔いしれたあと、近代化をいそぐ日本のその時代に翻弄されていく小泉八雲のことを思うと、現実の憂鬱が伝わってきます。
 いままで、西欧の人々が伝えられなかった日本を伝えよう。そして、日本の近代化によって、なくなりつつある日本的なものをしっかり書きとめようと、日本を取材するリポーターの役をはたしていきます。それが、民俗学的な研究の先鞭をなしていることに注目されることにふれつつ、その限界も示しています。
 この著作の、Ⅲ ハーンと神道・仏教・儒教 の仏教についての解説について、深く考えさせられました。これまでにも幾度か、仏教の本をよく読んでいて、かなり理解していると変な自覚をしていたこともありましたが、それが、このたびのようなものであったか思い出せないでいます。仏教についてはたびたび読み返すことができたらと思えました。 
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