『拝啓 漱石先生』
2008/01/13(Sun)
大岡信の『拝啓 漱石先生』を読む

大岡信が、いろいろな雑誌などに掲載したもののいくつかを集めたものである。
したがって、持論の繰り返しも多くある。
しかし、鼎談、あるいは対談の相手により、あるいは文章の場面の違いなどに合わせて少しずつ表現も変わっていて私には彼の主張がよりよく理解できた。

この本は、このブログの先に書きこみをした『戦争はどのように語られてきたか』と平行して読み進んだ。
どちらも正月の読み物としては内容に不足は無い。

この2冊の本で共通しているのは、片方は「戦争」を、また片方は「漱石」をその時々によって「どのように語られてきたか」ということが大きな関心事になっていることだ。
「語られ方」に歴史があるということだ。

大岡信は「卒論」に夏目漱石を取り上げた。
私も漱石を取り上げた。
私などが「私もそうです」というのはとてもおこがましいが、人生の課題が一緒ということで許していただきたい。
大岡信は1952年ころ3年間、私は1980年頃1年間勉強をした。
彼の卒論は「漱石と『則天去私』」と改題してこの本にも収録されている。
卒論は持ち出せないものだが、どうして持ち出したかについては忘れたようだ。
それはさておき20歳台でこれだけのものが書けているのだからすごい。
私は題を、「漱石の漢詩」とした。
実は漢詩はまったく読めない。
だから、漱石と漢詩との関係についてのテーマになる。
大岡信さんも漢詩は読めないといっておられるのを読んでそっと胸をなでおろす。
私は吉川幸次郎の『漱石詩注』という新書版を買い込んで悪戦苦闘した。
大岡氏は直接学ばれたこともあるようだ。うらやましい限り。
吉川幸次郎に言わせれば漱石の漢詩は漢詩が日本に伝わって以来日本人の漢詩としては最も優れているとも言う。
そうだとすればなんとしても漱石の漢詩を解読したものを読みたい。
しかし、今となってはわれわれ読者にも理解できるいい解釈の本も無いのではないかと残念だ。

卒論を書いたとき、私は漱石の留学による心境の変化に注目した。また、女性関係についてはそんなに興味があったわけではないが、鏡子夫人以外の女性についての漱石の女性への感情について見ていた。
しかし、大岡氏は修善寺の吐血時からの心境の変化に重点を置き作品への影響を語っている。また常に鏡子夫人に焦点を当てて女性について考えている。
今考えると、大岡氏の言っていることが当然と思えるのに、当時はそうでない漱石論に振り回されていたの感を持つ。

また、漱石の人間関係について考えるとき、当時は軽く考えていた、正岡子規と、高浜虚子について、もっと深く考えるようになった。
正岡子規という人について、彼と秋山好古・秋山真之兄弟の三人を主人公にした司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』を読んで、私にとって、明治という時代と彼が生きた息吹というものに深く接したことも大きく影響している。

この漱石と子規については大岡氏も小文「友だちー青年漱石・青年子規」(「新潮」1996年9月号)を書いている。

まずは、漱石と子規の文通の量と質によって漱石と子規の間柄について考察してある。

≪61通の正岡子規宛書簡である。(略)この数は偉とするに足りる。というのも、それらの書簡は一通としてありきたりの時候の挨拶などに終始するものはなく、しばしばきわめて真剣な議論や忠告を、諧謔やいたわりでそっとくるみ込んでいる手紙だからである。≫

以下は漱石が子規の添削の手腕を面白がりつつ感服していた例。

漱石の句  玉欄と大雅と住んで梅の花
子規添削  玉欄と大雅と語る梅の花
  
また次は、子規が漱石の漢詩を読んで絶賛して言った言葉。
嗚呼、吾兄・何の学を修め、何の術を得て、而して此域にいたれるぞ。

これら二つの例は、手紙によってお互い尊敬しあっていた様子がわかる部分。

また、子規がイギリスにいる漱石に最後に送った手紙
≪僕ハモーダメニナッテシマッタ、毎日訳モナク号泣シテイル次第ダ。≫と、死を前にしてその悲しみを率直に書き送っている様子にも二人の情愛の深さが感じられる。

高浜虚子については、私は卒論当時ほとんど関心を持っていなかったが、虚子についても、彼がいなければ作家漱石は誕生していなかった。
いきなり、虚子が「流行作家漱石」を生み出すきっかけを作ったために漱石の転機が訪れるのである。
そのことについても本文を読んで強く感じた。

漱石との出会いについてであるが、漱石といえば『我輩は猫である』で、何が面白いといってこの作品ほど面白いものはないと、私は『吾輩は猫である』を読んだことにすべてが始まる。
しかし、大岡信氏は出会いは『行人』だといっている。
『行人』の主人公、苦悩する意識家の大学教授一郎の意識の密室の中での七転八倒のもがきようのうちに、私自身をありありと読むような気がしたのであるとして漱石の作品を興味を持って読むようになったといっている。
私はその辺にはほとんど興味が無かった。

漱石への入り口の違いは、漱石への気づきの違いに影響してくることにも興味を感じる。
私は漱石の俳句は好きで好きでたまらなかったが、大岡氏はその俳句が優れていることに長い間気づかなかったといっている。

とにかく、『拝啓 漱石先生』は、これから漱石について考えるとき大きく私の理解を深めることになる。
『拝啓 大岡先生』になりそうである。



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