『漱石の孫』
2016/02/07(Sun)
 夏目房之介著 『漱石の孫』 を読みました。
 この本は、昨日のブログ記事『夏目家の福猫』同様、毎朝の裏山登山で、展望台で合流し駐車場までを一緒に歩く水野さんが貸してくださいました。
 この本もいっきょに楽しく読めました。
 2002年NHK衛星放送の『世界わが心の旅』というシリーズで『漱石の孫、ロンドンに行く』という企画に出演のためにロンドンに行ったことがきっかけで書かれた本だそうです。
 漱石が1900年(明治33年)5月、英語教育法研究の命を受けイギリスに留学し、留学期間約2年7ヶ月のうち、最後の500日を過ごしたロンドンのアパートへ、それから100年目を記念しての企画です。
 漫画批評家の著者は、国際交流基金主催の「現代日本短編マンガ展」のロンドンでの開催の立会いや講演の仕事も合わせてのロンドン行きでした。
 漱石がこのアパートで過ごした1902年から孫の房之介のたずねた2002年への100年間。この100年のあいだの日本とイギリスの立ち位置の変化。
 「そもそも文学とは何でしょう」とその基本を考え始めた漱石。そして、書ききれず敗北宣言をした漱石。そして100年たって、日本の大衆も皆文学が語れるにまでになってしまった。そして、日本のアニメ、マンガ、コミックが世界で評判になり、その講演講師として孫の房之介がイギリスに出かける。
100年前に極東の未開の国の研究者として留学をさせられ、神経衰弱になったことについて、のち和歌山での「現代日本の開花」という講演で、
 《外発的に西洋の文化を取り入れ、内発的な日本本来のものと混ぜ合わせて、早く西洋に追いつかなければならない。これを10年くらいでやってしまおうとすれば、どうしたって神経衰弱にならざるを得ない》と述べています。
100年後房之介は、漱石の長男のそのまた長男でありながら「我輩は大衆である」とか「我輩はマンガである」といいつつ、西欧・日本の両方の実感の伴う文明論を明晰な文章でわれわれ大衆に披瀝してくれて楽しませてくれています。さらに今後採算の取れない西欧への出張はやらないというスタンスです。
 自分が「漱石の孫」であるということを、それは素性であって職業ではない。といい、こんにち素性で生活できるわけでもないが、やはり素性ゆえの頼まれごとに応えてゆくことへの自己の確立といったようなことに気づかされていったこのロンドンでの体験。
 そこに亡くなって間もない自分の父親純一とその時代、父が漱石と生活を共にしたことのある「漱石の息子」として生きたことを考えることによって自己の確立を確認した自分。そんなことを打ち寄せる波のように考えていく過程を感じられる作品でした。

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