『100分de名著 司馬遼太郎』
2016/03/02(Wed)
 磯田道史著 『100分de名著 司馬遼太郎』を読みました。
 司馬遼太郎は、私がこれまで読んだ本の中では一番多く読んでいる作家ではないかと思います。
 ですが、司馬遼太郎について研究したということはありません。
 最近ラフカディオ・ハーンについて、ハーンの会でいろいろ教えていただいています。民間の人では、ハーンとその関連の著作を一番多く持っていたのが司馬遼太郎だと、何かで読んだ気がして、そういった意味での興味を持っていましたが、このたび、NHKテレビテキストの『100分de名著 司馬遼太郎』を読み、一つの気づきについて、記録しておこうと思いました。
 この本を開くや、『二十一世紀に生きる君たちへ』の本文の抜粋があります。
 《・・・・・。人間は、助け合って生きているのである。
 私は、人という文字をみるとき、しばしば感動する。ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
 そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。・・・・・》
 この『二十一世紀を生きる君たちへ』は、司馬遼太郎が初めて子ども向けにかいた随筆で、6年生の教科書に掲載されました。 みじかい作品なので、2度3度と読まれた方も多いと思います。私は、本屋で、絵本のように大きな分厚い表紙に仕立てられて、店先に展示されていたのをみて、なるほど、と思ったこともありました。
ハーンの研究をされている人はこれを読んですぐに気づかれたと思います。
 じつは、小泉八雲の『心』のなかの「塵」のさいごに、
 《少女の鳩のような優しい声によってわたしの夢は破られた。少女は幼い弟に「人」という漢字を教えようとしているのだった。・・・「どちらも相手の力でやっと立っているでしょう。一本だけでは立っていられないの。だからこの字は人間と同じなの。助けられなくっては、人はこの世で生きて行かれません。助けられたり助けたりして誰も皆生きていくのです。もし誰も助けてくれなかったら人は皆倒れて死んでしまうでしょう」この説明は言語学的に正確とはいえない。・・・・どんな出来事にも倫理的な意味を賦与した古風な教授法の、世にも美しい一例である。それだけではなく、一個の道徳的教えとしても、そこには地上の全宗教の精髄と地上の全哲学の精華とがこめられている。》とあることを。

 ラフカディオ・ハーンには、熊本第五高等中学校での講演「極東の将来」の筆記記録がのこされています。このハーンの日本への危惧がどうなったか?
 この「極東の将来」に第二次世界大戦のとき徴用されて陸軍に配属され「走る棺桶」とでもいうべき戦車に載せられた経験を持つ司馬遼太郎の昭和への歴史観、平和論を重ねると、より日本人の歩む道がどのようにあるべきかに気づかされる気がするのですが・・・・・。
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