3月の登山
2016/03/11(Fri)
 3月8日、羽柴さん、国広さん、水野さん、久保さんと5人で長者山に登りました。
 長者山は、高さ571メートルとそんなに高い山ではありませんが、とちゅう立石山頂(400.4メートル)やミノコージ峠をこえて、昼食をあいだにはさんで、5時間と少し歩き続け、たいへん疲れました。
 行きは、「ピクニックに来たみたいな調子で歩けて楽ですね」などと会話を楽しんで歩いていたのですが、登山道は、湿っているので滑りやすく、やはり急傾斜地や岩場もふえてきたので、だんだんとみんな黙々と歩きます。 
 私はちょうど、『100分de名著 荘子』につづいて、『100分de名著 仏教』を読みかけていたので、あるきながら、本のことを考えていました。不思議なのですが、『仏教』を読みすすんだことによって、仏教のことよりも『荘子』のことが少しずつ納得できてきているように思えたりもします。
『仏教』では、このたび大変勉強になりました。過去、何度か仏教に関する本を読んだことがあるように思います。しかし大乗仏教と小乗仏教の違いが分からずに、著書が大乗仏教を語っているのか小乗仏教を語っているのか理解できずに自分なりにまちがって解釈していたようにも思えます。もちろん理解していたにしても、自分なりに解釈するしかないのですが、今回、分からずに読んでいたことがわかり、おなじ言葉でも、双方は違う意味のことを言っていることを知ったのです。その例として「空」へのイメージで示してあったりしました。そして、仏教は、中国から日本に伝わってその大部分が、大乗仏教となってひろまり、私や、夫の実家も浄土真宗で大乗仏教です。それにたいして、より仏陀が説いた原初の教えは、「ニカーヤ」というお経で、中国語では「阿含経」で、北インドから、西に伝わり海岸に到達すると海伝いに南下してスリランカに入り、さらに東の海沿いに北上してタイやミャンマーなどに根づいたというのです。
 仏教が、一神教でもなく、宗教というより哲学だと深く感じながらも、「アーメン」の「そうでありますように」と、おなじように「南無阿弥陀仏」と唱えることによって救われるという教えは一神教のニュアンスがあります。そのような矛盾を丁寧に解き明かしてくれています。
 さらに、その教義の広がり方についての説明では、インドやスリランカ・タイ・ミャンマーを植民地化していった西欧諸国の人たちの中で、古代インド語のパーリ語の研究をして「ニカーヤ」の翻訳をした人たちがいることもわかりました。
 中国山脈の中で育った私は、雑木林がなだらかな低い山ばかりのなかで遊んで暮らしました。いや、そんなところばかりで遊ばされたのかもしれませんが。  
 山登りにも、いろんな山があり、さまざまな人と登り、いろいろな感動と、学びがあります。仏教のさまざまな様を連想しながら歩いた登山でした。  
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