高校教科書のなかでの宗教
2016/03/26(Sat)
 《「科学も哲学も芸術ももたないような社会は過去にみいだされるし、今日でさえも見出されるであろう。しかし、宗教のない社会はかって存在しなかった。」とベルグソンは述べている。・・・岸本英夫氏が「宗教とは人間生活の究極的意味を明らかにし、人間の問題の究極的な解決にかかわりをもつと人々によって信じられている営みを中心とした文化現象である。」(『宗教学』)と作業仮説的に規定しているものを一応の目安として論議を進めることにしたい。》

 大学受験のために29歳のとき、住まいの近くにあった第一学習社の社宅にいた知り合いに頼んで2400円で購入した、昭和52年発行の第一学習社の『倫理・社会の研究』教授資料のなかの文章です。
このところ、仏教関連の本を少し読んだので、高校では仏教についてどのように教えていたのだろうと、この本を取り出してみました。
 さらに、《仏教は古代インドがどのような状況にあったときにおこったか、高校生が同時に学んでいる世界史の進度を確認しながら、生徒に理解させることが大切です。》とあります。世界史の教科書がありませんので一応インターネットで検索します。
インドの歴史は紀元前3500年ころまでさかのぼれるようです。そして仏教がおこる紀元前500年までには3000年という歴史があります。この間、バラモン教の「生存中のカルマ(業)による輪廻の思想」や「宇宙の本体(梵)個我の本質(我)の一体化、梵我一如の思想」「解脱」は既にあったようです。しかし、バラモン教の祭儀や呪術を中心としたカースト制度による不平等などと、形式化し独善的になり堕落した部分については厳しく退け、インド思想のすぐれた伝統については仏教はこれを継承したと教えます。
そうなると、思想的には良い部分をどのように示し維持していくのかというところが課題になります。ブッダは、個々の人間が、煩悩から起こる苦悩からどのように解脱していくのかを人生を通して実践して見せ、それを感じて集まった人々が弟子となり、ブッタの死後100年をかけて経典にまとめていったのだと理解できます。
 教理の実践をよりよくなしとげるために、梵夫はどのように、自己を統制していくのか、そこまでこの教科書の教授書でわかってくると、『100分de名著』のなかで佐々木閑氏の述べられている、ブッダはその修行をするための僧侶たちのグループ「サンガ」のインストラクターであったと述べられているところの意味がやっと飲み込めてくるのです。サンガは5人以上でつくられ、サンガ間の行き来は自由で、上下の区別なく、そのサンガに早くからいた人にそいながら決して仕事を持たず、野宿して、人々の食べた残り物をいただいていきていきます。そして、我執を去り、縁起の理法に安住して心乱れることもなく、自己の天分を発揮して平安な生涯をまっとうするその生き方をとおしてのみ、仏教の法がしめされる。と理解できます。
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