第188回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2016/04/11(Mon)
 配布されたニュースには、コンピューターの進化についてふれられ、「アルファ碁」の話題もありました。視点を変えて、コンピューターに越えられている人とそうでない人に思いがいたりました。私などは、とっくにコンピューターに越えられていて、このブログが、コメントを受け付けないと大好きな北海道の読者から夫のブログに苦情があったということですが、今もそうなのかどうなのか分かっていない始末です。 そして、ほとんどコンピューターに制覇されているらしい将棋についてですが、職場で子どもの宿題を見てやりがてら国語辞書を見ていると、「高飛車」というのは、将棋用語だと載っていました。帰って夫に聞いてみると、相手を自分よりはるかに弱いと決めつけて、飛車で攻める手だといいます。「えっ!!私はもしかして、高飛車な人間なのか!!」子どもに将棋の相手を頼まれると、飛車で攻め立てあっという間にすべての子に勝ちます。大勢の子どもを見ているとき、一人の子どもと遊ぶということになると、早く勝負にけりをつけなければならないと思うからです。(因みに「けりをつける」というのは和歌から出た用語で、歌の終りに「けり」をつけて終わらせるということのようです。)今の職場が長くなって、負けても負けても相手をしてくれという小さかったF君が、背丈が私をはるかに越したある日、角の横に金を上げてきました。それから、彼には手間がかかるようになり、だんだん手が取れるときでないと相手ができなくなりました。高飛車に出る私を制した中1になったFくんが、ある日、手間取ってイライラする私に勝ちました。以後申し込まなくなりました。そんなことが思い出され、高飛車な私がコンピューターに制される第一号ではなかったかと思いました。夕刻かえって志村建世さんのブログを読むとおなじくコンピューターの進化の話題に触れられており、これに関して本を書いて見ようとの思いがつづられてありこれまた楽しみです。
 今回のトピックに、「廣岡浅子の人物相関」と題して、ラフカディオ・ハーンが日本に来るきっかけとなった服部一三をはじめとする周防国吉敷郡吉敷村(現山口県山口市)出身の内海忠勝、澤山保羅・成瀬仁蔵・服部章蔵が相関関係をたどりながら紹介され、さらに、澤山保羅から洗礼を受け、廣岡浅子に先例をほどこした宮川経輝や、廣岡浅子の娘婿一柳恵三の妹一柳満喜子らについての相関関係と活躍の紹介がありました。そして、『澤山保羅』・『服部章蔵』・『成瀬仁蔵』という本を2006年・2009年・2014年と次々自費出版された山口市吉敷出身の平和生という人の紹介がありました。
 そのあと、風呂先生執筆の『へるん』52号のヘルンゆかりの人々・ゆかりの地に、「服部一三と広島を繋ぐもの ハーンとの“点と線”」を踏まえながら、風呂先生自身の解説があり、総体的に、そしてより印象的に、吉敷の場所とその地域の特性や人物の相関関係などを知ることができました。今朝裏山散歩のとき、山口市出身で広島県庁の職員であったMさん夫婦に吉敷について伺うと、自分たちも吉敷の出身だということでした。山では当地の歴史や植物・鳥のことなどなんでもMさんに教えていただきます。どうりで!Mさんの奥さんは第二次長州戦争を四境戦争と話されました。どうりで!の山道でした。
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コメント
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 前半の部分に感銘を受けました。
とてもよい思い出です。F君にとっても、あかね様の存在は確かで大きな存在だった事でしょう。子どもと向き合う仕事に就かれた、あかね様の此れまでが耀いて見えます。
私には子どもや孫と暮らした思い出はあるのですが、果たしてどれだけの影響を及ぼしたのか、現時点では解りません。みな成長著しく会う回数も激減しました。
 いつか来るFくんとの再会が、更に耀かしいものとなりますように、いつまでも安心して暮らせる平和な世にしたいものですね。
2016/04/12 10:30  | URL | みどり #-[ 編集]
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えいこうさんから、コメントを受け付けないと夫に苦情があったようですが、みどりさんがコメントくださって、コメントを受け付けるようになったのだと安心しました。ありがとうございました。
いままで将棋ができる指導員と一緒に仕事をしたことがなかったので、将棋の相手は全部わたしにまわってきます。
このハーンの会を主催してくださっている風呂先生は将棋部の顧問だったそうなのです。
この仕事に就いた大方40年前、将棋の駒がプラスチックだったせいか、子どもたちはおはじきにして遊んでおりました。将棋を教えると、メキメキと腕を上げて頼もしかったのですが、最近は遊び方は知っているが、一度負けるともう一度お願いします、という子はめっきり少なくなりました。この仕事に就く直前3ヶ月間臨時指導員で働いたところで、端正な顔をした子どもが、いい手で打ち込んでいたのですが、後年甲子園に出場していたので驚いた事がありました。お孫さんもあのバスケット
の強さからだと、なかなかではないでしょうか。
2016/04/13 06:00  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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