認知症の母の教え『千の恩』
2016/05/04(Wed)
 岡上多寿子 絵・文 木耳社刊 認知症の母の教え『千の恩』を読みました。
 この作品は、おなじ作者の、認知症者の母とともに『いっぱいごめん いっぱいありがとう』そして、『みーんな大切 わたしも大切』につづいて3冊めの出会いでした。
 巻末に『いっぱいごめん いっぱいありがとう』の広告文がありました。 《もっと やさしくしてあげればよかった。認知症の母を介護した十年間を絵と文でつづった介護絵日記。先の見えない不安や社会と断絶したような孤独感、叱責のあとの無力感と自責の念、むなしさと情けなさ、複雑な感情が渦巻いたとしても逃避できない現実-。去来する心情を赤裸々に、時にはユーモラスに、時には叙情的に、卓越した表現力の詩画で表現した感動の一冊。やがておとずれる母との別れを経て学んだ「命の教え」、断ち切りようのない親子の深い愛情が心を打つ。》私が知らないばかりで、新聞・雑誌・TVで取り上げられ、版を重ねているようです。著者の岡上多寿子さんは、わたしのうちから1時間もかからない山県郡安芸太田町に住んでおられ、デザイン陶芸をされており、その作品が、安佐南区のわたしのうちから一番近い百貨店天満屋で年末に展示販売されると、ともだちがこの本をくれたのでした。読み終わってすぐ天満屋に行って聞いてみると、今年度はもう終わったので来年おいでくださいということでした。
 このたび、他のともだちのうちに届け物をしたら、『みーんな大切 わたしも大切』という本を貸してくれ、読み終わって返しに行ったら、さらに、著者を訪問したので、この本を買って帰ったと、サイン入りの『千の恩』を貸してくれたのでした。
 私は、両親も儀父母も認知症にならずに亡くなりました。それでも、このちいさな家に夫の母を迎えたときには、今では忘れてしまったのですが、いろんな思いをしたかもしれません。その経験は、核家族で育ち、自分の家庭も核家族でやり過ごしたわたしにとっては、いまでは、いい経験になったと思っているくらいのことでした。
 この本を読んで、《先の見えない不安や社会と断絶したような孤独感、叱責のあとの無力感と自責の念、むなしさと情けなさ、複雑な感情が渦巻いたとしても逃避できない現実》のなかで、阿修羅の如く時を過ごしてやるせない思いにさいなまされておられる人が、たくさんおられることを考えると気の毒で鳥肌が立つような思いがします。
 このたびの、『千の恩』は、認知症の母親が亡くなって、その思いをつづった『いっぱいごめん いっぱいありがとう』から、さらに、その後、父親も亡くなったりして、4年たった2010年に出版されていました。
 これだけ大変な思いをした10年間を思い起こされ、ひとりでがんばった!!と思っていたことが、実は父親や、息子、娘など家族に支えられていたことにやっと目が向けられるようになった思いが伝わってきました。
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