『AI MITSU 靉光と交友の画家たち』
2016/05/23(Mon)
 広島県立美術館・岩手県立美術館 編集 『AI MITSU 靉光と交友の画家たち』を読みました。
 2001年(平成13年)広島県立美術館で、おそらく『AI MITSU 靉光と交友の画家たち』とめいうって開催されたとき刊行されたものです。
 画集『靉光』を読んで、もうすこし靉光と、その作品にふれていたいと、隣の奥さんにこの本もお借りしました。
 一言で、読みましたといえないほどの圧巻でした。
 靉光は、1907年(明治40年)に広島県の千代田町で生まれました。名前は、石村日郎で、絵を習い始めたころは靉川光郎と名乗りましたが、そのあと靉光と名乗ります。10歳のとき書いたという「父」という絵があり、それから11年のちの「母」の絵があり、制作年は分かりませんが養父の絵もあります。とても写実的で10歳のときの作品とは思えません。なるほど、この本を貸してくださった靉光の姪にあたる隣の奥さんと、やさしそうな雰囲気がとてもよく似ています。靉光は、小学校に上がる頃、広島市内鉄砲町に住んでいる子どものいない、この父親の弟のところに養子にもらわれていきます。これらの肖像画を見ると。隣の奥様も70代後半ということですが、いつも笑顔で結構天真爛漫ですので、子どもがおられず、あまり時代や環境の変化に影響されず長年くらしておられて雰囲気までもが似ておられるのかなとも思われます。
 靉光の作品はすべて戦時中で、いろいろな抑圧もありながらの制作です。展示会への出展作品も当局の思惑を考えて出展をしないということもあったりしました。しかし、戦後、靉光が亡くなって、彼の絵が評価されるようになり、その絵の制作中に交際のあった仲間の人たちからのエピソードなどが、いろいろな絵画雑誌などに語られている資料などをもとに、一つ一つの絵に丁寧に説明があります。
 靉光は、意欲的にいろいろな画家から技法を学び、研究し、同世代の多くの画家たちとも交流があり、真摯に絵に向う姿ばかり語られています。
 おおくの静物画については、その出来栄えに、アトリエで書いているところを訪ねた人たちを驚かせたようです。
 読むほどに、興味深くのめりこんでいくのですが、紙質がよい本だからでしょうか、文字が小さく頭が痛くなったりもしましたので、2日くらい本を開かずにいました。あとは、絵画をその説明とともにじっくり味わいました。絵の写真は、画集『靉光』より数段きれいに撮れていて、見ごたえがありました。
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