『平家物語』
2016/07/03(Sun)
 長野甞一(ジョウイチ)訳 『平家物語』ポプラ社 世界文学全集18を読みました。
 この作品は、ジュニア向けに昭和43年に発行されています。
 本文は320ページまでですが、物語は壇ノ浦での平家の滅亡、平知盛の入水自殺までが描かれておわります。一般的な『平家物語』での、それ以後、清盛直系の曾孫維盛の子、六代御前が発見されて殺されるまでの話で終わるのですが、そこはありません。
 昔読んだ吉川英治の『平家物語』については、著者のことにまで思いがいたりませんでしたが、このたび、改めてこの本を読んでみると、著者の平家物語への思いが伝わってきます。物語を大げさに書いたりするのではなく、物語の状況をわかりやすく書くことによって、まずは物語の面白さをしっかりつたえ、そして、その場面を客観的に眺めることができるように歴史的に共感性を持たせるような補足をくわえるという著者の工夫がすばらしいと思いました。
 敗者の歴史は残りにくく、しかも、勝者の都合のよいように伝えられるのが常ですが、この『平家物語』から、後世、判官びいきということばが生まれるほどの物語に仕上げた信濃前司行長という人は、この約20年間という短期間の平家の栄枯盛衰を仏教の諸行無常と絡めて語ることによって、リアリティーをもたせ、自分が知りうる情報から、かなりシビアに語ることができた名作ではないかと思えます。このことから鎌倉仏教の特性を感じ取ることもできます。

 最近の登山で、『平家物語』を思い起こした部分については、可部の町でいちばん親しまれている高松山です。頂上の看板で、「承久の変(1221年)で討死した熊谷直国の功績が鎌倉幕府に認められ、その子直時は安芸国三入荘の地頭に任ぜられました。武蔵熊谷郷(現在の埼玉県熊谷市)からこの地に赴任した直時は荘内の防備を固めるために伊勢が坪城を築きました。その後、次第に勢力を増大させてきた熊谷氏は戦略的により優れた高松山に城を築き本拠としました。・・・」とあります。これより少し前、一の谷で先陣を切って活躍した熊谷直実・直家もこの一族と考えられます。
 また、最近登った鷲ヶ頭山のある大三島は、河野一族の崇拝する大山祗神社がある島です。この河野一族では、河野四郎が、平教経に追われる部分を「六箇度の合戦」というのだそうですが、ここの記述があり、沼田次郎の本拠地である広島に応援を求めてわたり、降参し、さらに九州の臼杵氏等にも応援を求める記述があります。

 そして、物語の衣装などの色についても注目してみました。最近、里山にもある植物からとった染料に興味を持ったからです。その中の一つ、もくらんじ色とは、狩衣などの赤みのある黄を帯びた茶色。これは調べて、梅の根っこを煎じたものに明礬(ミョウバン)をまぜて染めた色だと分かりました。
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