『白洲スタイル』
2016/07/08(Fri)
 白洲信哉著 『白洲スタイル』を読みました。
 著者自身が白洲次郎のように被写体として様になるので、骨董品を置いた写真などの口絵24ページがスナップ写真もあって雰囲気が味わえます。
 しかし、この作品は、自分の立ち上げた会社事務所として使用している部屋に、母方の祖父小林秀雄の全集14巻別冊2巻、父方の祖母白洲正子全集14巻別冊1巻他が備えられており、どちらかといえば、小林秀雄の作品に親しみながら、作品との対話を楽しむことによって自分自身の思いを深めていく著者の姿が見えてきます。
 そして、「はじめに」と、第1章にそれが顕著で、読んでいて深く心にしみこんできます。
 《・・・また何十年、何百年、あるいは何千年という年月で見れば光の当たりかたにも浮き沈みがある。例えば退廃芸術家としてドイツを追われたパウル・クレーは再評価を受け、国としての償いなのか、流失した作品が買い戻されている。お隣の韓国の或る財閥も、過去に見捨てられた李朝時代の遺物を買い求めている。そんな中で僕が注目するのは、今に残る、本物のモノの存在である。解釈や評価が様々に変わるのを越えて、長い年月に耐え、今に残っているモノは、やはり、そのものの美、真なる価値もさることながら、運命を味方につけたことが大きいと思う。縄文土器、埴輪、百済観音、源氏物語、那智滝図、日月山水図屏風、修学院離宮、茶室待庵、楽茶碗、・・・・。今に残っているモノの背後には、たぶん、運命と謂うしかない成り行きによって消えうせた無数のモノが、天文学的な数字ほど控えているだろう。さらにその背後には、同じく天文学的な数字に上る、闇に沈んだ無数の作者たちの気配がうごめいているだろう。》
 この運命を味方に付けたという部分の発想はいわれてみればと大きくうなずけることでした。東北の大震災による津波のとき、落ち着いた頃、ふと、多くの宝も濁流に飲み込まれたのではないかと思ったことでした。
 柳宗悦や大原孫三郎などの民芸運動によって価値を見出され、その美しさに魅了された人も多くいたでしょう。祖母の白洲正子もその一人ですし、本文にも多く語られる青山二郎も多くの名品を見つけ出しました。
 そして、彼の経歴のなかに、細川護煕の秘書というのがあるのには驚きました。27歳のとき、細川護煕氏が熊本県知事を辞めて、臨時行政改革推進審議会会長だったときから秘書になり、日本新党を結成し、参議院議員に当選、衆議院議員に当選、総理大臣そして退陣、野党になって三年後、民主党が設立され細川が議員辞職する一年前の夏秘書を辞めたということでした。まさか、秘書になったとき、勤務が総理大臣官邸での仕事になるとは思ってもいなかったでしょうが彼の飄々としたところは、細川さんとも似ていて、お互いきのおける関係だったのではないかと想像したのでした。
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コメント
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選挙がんばりましょう!
ごめん、知ってるすべてのブロガ-さんにこれを入れて回ってるもんで。
2016/07/09 23:13  | URL | 花てぼ #ZjTFAI5c[ 編集]
- 合点承知ノスケ -
 仕事が10時から4時までなので、帰りに行ってきます。
「知ってる」といわず、「選挙に関してはじゅうぶんに気持ちの通じる」といってほしかったです。
 気持ちの通じてない人は棄権しても許してあげてください。
 
2016/07/09 23:48  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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