『出雲風土記の謎』
2016/07/16(Sat)
 朴炳植(パクビヨングシク)著『出雲風土記の謎 秘められた人麿の怨念』を読みました。以前、夫が古本屋で買っていた本です。
 第一部と第二部になっていて、読んでいる途中、第三部はのち出版すると書かれていましたが、それは我が家にはないようです。
 第一部「隠された意図」
 ヤマト朝廷の神話をまったく無視した態度で書かれている「出雲風土記」。
 国の根本を正す建国神話において、ヤマト朝廷のそれに影響されない、独特の「国引き神話」を中心として記述されていることにこだわって、編纂者の神宅臣金太理(ミヤケノオミキムタリ)の足跡を物語的に構成したものです。
 編纂責任者を調べていて、まず、その編纂責任者が出雲国の国造(クニノミヤツコ)である大領(地方の政治的責任者)広嶋出雲臣(イズモノオミ)でなければいけないのに、天皇家の臣である神宅臣金太理(ミヤケノオミキムタリ)になっていることが謎めいていると、「出雲国風土記」の編纂目的について語られます。
 726年に大和朝廷から特に派遣された神宅臣金太理(ミヤケノオミキムタリ)の仕事は、すでに朝廷が編纂している「日本書紀」の内容を側面から裏付けるような出雲国風土記を出雲の臣たちに提出するよう説得することでした。「古事記」は一部族であった大和朝廷の史書にすぎず、他の氏族もそれぞれ、自分たちの伝記をそのまま保存していたので、それぞれの氏族にその国の史書を大和朝廷の意向に合うように書くことを要求し、提出されたものを焼却しようとの意図があったようです。当然、出雲国の人々は、つい最近まで我々同様な、あるいは我々よりも低い一部族であったものが我らの系図・伝記を抹殺しようとするのは許せないと主張し、この要求に反発していました。しかし、この金太理は、朝廷に対して表には表せないものの、正しい風土記を書くべきだと考えていました。しかし、表立ってそれがわかると、出雲国にどのような被害が及ぶかもわからないため、古事記や日本書紀に仰々しく書かれている「オロチ退治」の話を、それらにはまったくかかれていない「国引き神話」が最も重要な部分を占める話に仕上げていきます。 そのような苦労には、彼が敬愛してやまない柿本人麿との出会いが影響しています。
 第二部「柿本人麿の秘密」
 柿本人麿は、百済の人で、父親とともに、百済が新羅と援護を受けた唐の連合軍に攻め込まれてしまったあとにも、百済の再興のために、自発的ゲリラ部隊を組織して、夜襲をかけるなどして、抵抗していました。それに加わっていたのが13歳の神宅臣金太理(ミヤケノオミキムタリ)だったのです。しかし、ついに負けて、双方ともそれぞれ日本に脱出してきたのです。日本で再会した二人は、百済の復興を誓います。
 この物語では、第一部はとくに私には分かりにくく、理解できないままでした。しかし、理解を深めようと、30数年前に購入していた『人物探訪 日本の歴史』全16巻の2『王朝の貴族』を読みかえしてみると、様々な学者の解説が面白くて夜のふけるのも忘れての読書になりました。『出雲風土記の謎』が、あまりにも一方的な見方ではないのかと終始思わされておりましたが、そうではないように思えてくるのが不思議でした。さらに、少し前に読んだ井上靖の『天平の甍』への読み違いにも気づかされていくような自己変革にもなったように思えます。
 著者は松江に在住で、日本に来て3年目に当時毎日新聞の松江支局長であった藤田昭彦氏に新聞連載で思わぬ道を開いてもらえたとありました。藤田昭彦氏といえば先に読んだ『マルセル嬢の誘拐』の著者です。その藤田昭彦は以前から朴炳植(パクビヨングシク)の作品を読んでいたとのことでした。
 このたびは、意外と日本人が書けない日本史を読むことで日本史の真相により近づける思いがする読書になったようでした。

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コメント
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 柿本人麿の出自が百済だったとは、歌を習っても其処までは教えて戴けませんでした。今更ながら何も知らなかったことに驚き、いかに古代に於いて、朝鮮と日本の文化的交流が存在していたのか痛感しました。子ども達に、古き時代からの日本と朝鮮の行き来の深さを、もっと丁寧に教えることが、日朝の今日的友好を育むことに繋がるとも思います。朝鮮人を馬鹿にして好戦的な民族として印象づけようとする動きが強まっていますが、朝鮮民主主義人民共和国の独裁性が残念です。韓国と朝鮮は全く同じ民族でありながら戦争によって分断され、未だに自由に往来も出来ないのですが、それをつくりだし固定化してきた政治的支配の誤りは話題にも上がらない日本のように思います。若い一時期、日朝友好協会に入っていました。キャンプで仲よく交流したり、朝鮮大学を視察訪問したり、楽しい思い出が沢山あります。
 あまりに独裁的な金〇〇のために、友好組織は壊滅的のようですが、国民同士は互いを尊重しあいながら、文化的交流ができたらと思います。
暑さに負けない旺盛な読書量と、その読後感を記す日々には、常に頭が下がります。
2016/07/17 10:31  | URL | みどり #-[ 編集]
- 私もびっくりでした。 -
  思い込みとは違うことをいっている文章が理解できず、何度か読み直し、とりあえず納得したことにして、次に進みといった読書でした。
 最後のほうで紹介した『人物探訪 日本の歴史』全16巻の2『王朝の貴族』を読み返していて、納得できました。日本の王朝と帰化人については、微妙なことですので、今更触れる必要もないのだと思います。
 その本では、奈良時代にはほとんどふれず、それ以降のことがほとんどです。その中で注目したのは、今も読まれている当時の文学を残した人は地方の官吏に任命された父親について地方に行ったことのある人ばかりだと強調してあります。史人(歴史を記録する役目)もなにを書き残すのかということについては、他のことを知らなければ、なにが特徴あることなのか分からないのではないかとも思えました。
2016/07/17 20:37  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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 連れ合いと私との間で、本の好みは大きく違いがあるのですが、昨夜「この本買おうか迷っている・・・」との事で、思わず書評を読んでみました。深山様にもお勧めかもしれません。
『古代史研究七十年の背景』上田正昭 著。藤原書店1800円。上田氏は京都大学名誉教授だとありました。
 まず冒頭に『1965まで、朝鮮半島から日本に訪れた古代人は、帰化人と記されていた。しかし、上田氏は「日本書紀」が戸籍も無い時期の古代に「帰化人」と記すのは、日本版中華思想だと論じ「渡来人」が適切だと提起した。今日の古代史の記述では「渡来人」が一般化している』=書評者 小笠原好彦。とありました。
 上田氏の古代研究は1945年の敗戦からはじまり「天皇制」と「古事記」「日本書紀」との関連であったといいます。
『本書を読むと、上田氏は古代史研究を基盤としながらも、生涯学習や人権の啓発に尽力されるとともに、実に国際性を持っての社会的活動を続けていた人だった。』書評を書かれた滋賀大学の名誉教授が最後に合掌しています。
というのは上田氏は今年3月にご逝去なさったとあり、此の書は故人となられた上田氏の自叙伝とも読めると書いています。1800円は大きい額です。連れ合いが買うかどうか?見守っておりますが、もし図書館で見つけることが出来ましたら、何かの参考になさって下さい。 
2016/07/18 11:23  | URL | みどり #-[ 編集]
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 みどりさん感謝です。
 『人物探訪 日本の歴史』全16巻の2『王朝の貴族』の中で、みどりさん紹介の上田正昭氏は「弓削道鏡 女帝との恋に生きた僧」と「記紀の世界」と執筆しておられます。昭和50年発行の本ですが、ここでもすでに、
 《私などは、雄略天皇から継体天皇までの、つまり5世紀の後半から6世紀のはじめの段階に「帝記」や「旧辞」の記録化がすでに始まっていたのではないかと推察する(『大王の世紀』)》
 《『古事記』の・・・稗田阿礼というのは、後の政界に重きをなした藤原不比等のペンネームではないかとする仮設がある。・・・筆録者とされる太安万侶は百済系の渡来人ともゆかりがあった人物で太(多)氏直系の出身であった。学識にすぐれて太氏の氏長となった。彼は『日本書紀』の編集メンバーの一人として加わったともいう。・・・・藤原不比等が没したのは720年8月であった。同年の5月に『日本書紀』は出来上がっていたので・・・藤原不比等の父は中臣鎌足であったが、その思考と行動を、『日本書紀』はことのほかに特筆した。そこには中臣氏顕彰のモニュメントとしての意味づけすらが見受けられるほどである。・・・》等の記述があります。
 『出雲風土記の謎』の次の本には、すでに毎日新聞で連載済みだった第三章の「多氏古事記」について書かれてあるようにどこかにしるしてあったように思うので、これも読んでみたいのですが、アマゾンなどにはありませんでした。
 上田正昭氏の文章は大変読みやすくて分かりやすいので探してみます。
 みどりさんのおかげで、上田正昭氏の文章をさらに丁寧に読み返すことができました。
 この『人物探訪 日本の歴史』では、全巻最初に専門家の方々の鼎談があるのですが、この巻では、東大の先生混じって
白洲正子氏がありました。よく考えてみると、白洲正子氏のお父様樺山愛輔は平成天皇の養育係でもあり、母方のお爺様川村純義は昭和天皇の養育係、彼女自身は御学友でもあったのですから、王朝の歴史や文学には詳しいのでした。

2016/07/18 17:39  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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