続『ラフカディオ・ハーン再考 100年後の熊本から』8
2016/07/25(Mon)
 西 成彦著 八 ハーンとマゾッホ を読みました。
 読んでブログに記録しようと考えているうちに、忘れて・・・を繰り返していたように思います。この度こそはと、集中して読み返していくうち、はずかしいのですが、やっと気づきました。
 この著者の先生は研究者で、私はハーンの日本語訳の一読者です。
 ハーンの文章の日本語訳から、なにか私の人生を豊かにし幸福ならしめる文章に出会えたら幸せと考えている読者なのです。
 従来、翻訳モノで本文のセンテンスをあるときは覚えるほど読んだことがあるといえば、超ベストセラーの聖書かもしれません。この聖書が、翻訳モノであるということは承知しているのですが、それが、どのような時代や国や地域を経由してこうして目の前にあるのか考えないで、キリスト教とはいったいどのような宗教かということだけを思って読んでいったように思います。
 それは、チェンバレンが、『古事記』を読んだときとあまり代わらないのではないかということを、この再考論文の最後の9行
 《たとえば、『古事記』を「方言文学」と呼ぶことは非常識だろうか?本居宣長以来、この作品はもっぱら「国民文学」としてだけ読まれるようになった。こうした「国学」的偏りに対して、冷静でありえるはずのチェンバレンでさえもが、『古事記』の英訳者として悪戦苦闘しながら、それがよもや「方言文学」であろうとは想像だにしなかったのだろう。
 しかし、「万葉仮名混じりの漢文」とザッハー・マゾッホの「ヘブライ語混じりのドイツ語」のあいだに、どんな違いがあるとあるというのだろうか。おなじことは、もちろんハーンの「日本語混じりの英語」にも当てはまるのだが、ハーンの文学を「英語で書かれた日本文学」と呼ぶ習慣はあっても、『古事記』を「渡来人」の文学とみなす風習が日本にはいまだ確立されないままである。・・・》
を読んで私なりに確信しました。
 この9行は、『出雲風土記』の著者を主人公に描いた作品である、『出雲風土記の謎』を読んで、『古事記』や『日本書紀』や『風土記』を書きとどめた人たちの大方が渡来人であったと思うようになった経験を通して理解できたと思えます。
 チェンバレンとハーンの書簡のやり取りで、問題になる、英文の中に挿入するローマ字で書かれた日本語については、偶然、先日の「広島ハーンの会」でもそのことについてお話がありました。『黒い蝶』を翻訳された桑本仁子氏が、被曝者をどう訳すか考えあぐねていたとき、日本に駐屯中の米兵の方が、ローマ字で“HIBAKUSYA”と表記していいのではないかとアドバイスしてくださったと話されました。チェンバレンとの書簡が往復してから、120年の時が過ぎて、オバマ大統領の来広も世界中に映像付きのニュースで知れ渡るような時代になりました。その間、世界中の地名も現地表現音で表記することが取り決められたように聞いています。再考論文では、いま、私なりにやっとそれくらいを感じ取ることができたのでした。
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コメント
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 西 成彦・著とありますから、
「『出雲風土記の謎』を読んで、『古事記』や『日本書紀』や『風土記』を書きとどめた人たちの大方が渡来人であったと思うようになった経験を通して理解できたと思えます」という辺りは、むろん著作者自身の感慨を述べておられるのだと思います。
 そこで、深山あかね様ご自身は?とお訊ねしたくなりました。
日本書紀も古事記も下段に解説のついた本を読みました。それも中学生の頃です。其の後、古事記は調べものの関係でざっと読み直してはおりますが、本の成り立ちなど、編纂者の事までは考えが及びませんでした。
 先日以来、大和の人々が渡来人から受けた陶芸の確かさなど思い返していたのですが、国家の成り立ちに関わるような書物の編纂まで、大方が渡来人が負っていた・・・・・という西氏の言には、真実性があり、拠って立つ根拠も沢山あるのでしょうか。
全く不勉強できた私ですので、深山あかね様ご自身が、大方が渡来人の編纂であると確信出来たのかどうかを、卒直に教えて頂きたいと思います。
 小泉八雲が英語で著した物語は、日本に溶け込んで、今では基が英語だったと思えない人の方が多いようです。訳者によって文学的香りも豊かで、日本語の微妙な感性も感じます。
今回のあかね様の読後感は、作者である西 成彦に寄り添うような感じとも受け取れましたが、従来からの「古事記」への認識が更に様々な角度から検証され、渡来人の関わりが大きかったのだと解明され、将来的には朝鮮と日本の友好関係が結ばれることを期待します。
2016/07/27 11:06  | URL | みどり #-[ 編集]
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 先日、ハーンの会で、機微に触れる道徳上の問題で明言を避けるという、道徳的沈黙について学びました。しかし、これは、立場上重要な場面に立たされたときの戒めだと考えています。私たちのような、くまさん・はちこうがなにを言ったところで問題ではないのですから、私見を述べれば、実務をしたのは80パーセントくらいの人が、渡来人ではないかと思っています。万葉集もそれに近いと思えるような解説もあるようです。アカデミックな立場の人は、自分の論としては主張しませんが、承知とは思いますが、といった表現で天皇家のことなども述べているようにおもいます。宮内庁が発掘などを許さないのですから、余計にああやっぱりと思ったりします。しかし、今更といった感じなのです。だからといって皇室に対する思いに変わりはありません。
 私は昔から秦河勝のファンですが、彼は朝鮮半島の人で、元祖は中国人といわれています。秦氏は聖徳太子のスポンサーだと認識しています。さらに、オールマイティにあらゆる方面での技術や、法体系、体制作り、町割などの指導者であったと思えます。国宝第一号の広隆寺の半跏思惟像も朝鮮半島の樹が使われていたことが近年判明しました。ロダンの考える人同様の姿勢が、どこから見てもいちばん美しいということも早くから知っていたのでしょう。
 このたび、八雲立つ・・の日本最初の歌はヘブライ語だという解説を読みましたが、さすがにそこまでは・・・。先日いっしょに山に登った人が翌日、ウズベキスタンにツアーで出かけたという話題から、世界で日本人にいちばん似ているのはウズベキスタンの人々だとも聞きました。それにしても私たちも縄文人だとか、弥生人だとかの子孫だという確証もないので、渡来人もふくめてそれらみんなが今の日本人ではないでしょうか。

2016/07/27 21:54  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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