『石牟礼道子 苦海浄土』(100分de名著)
2016/09/03(Sat)
 若松英輔著 100分de名著『石牟礼道子 苦海浄土』を読みました。
 本屋へ行ったとき、この本を購入した夫が、まだ独身だった頃、石牟礼道子氏の『苦海浄土』を買って読んで友達に貸したままになっているのを記憶の奥からよみがえらせたのか、この人の本はすごいといいだし、図書館に予約を入れるやら、古本屋を一緒に探そうと言い出すやら、アマゾンを見るやら、あわただしい一日を過ごしました。
 さっそく、二人とも返す本のからと、わたしは『花いちもんめ』を読み、引き続きこの本を読みました。
 著者の若松英輔氏はテレビで見たことのあるような気のする方ですが読むのはおそらく初めてでしょう。1968年生まれで批評家と紹介されています。
 この本の紹介をして「水俣病に苦しむ人々の声なき声を酌んだ『苦海浄土』は、近代化の闇を描くと共に、普遍的な問いを投げかける」とあります。
水俣病についての説明では
《熊本県水俣市のチッソ水俣工業が排出したメチル水銀が水俣病を生んだ。沿岸の被害者は脳などの中枢神経を破壊され、手足のしびれや震え、舌のもつれ、視野が狭まるなどの症状に苦しみ、命まで奪われた。患者らの粘り強い訴訟を通じて損害賠償や環境保護法の整備は進められたが、未認定患者も多く残る。》とあります。
 1932年日本窒素肥料(現チッソ)水俣工場が、アセトアルデヒドの生産を開始。メチル水銀を含む排水を水俣湾に流し始めたことから、1953年、水俣湾周辺で多数の猫が死ぬ。後に確認される最初の患者が発症。1956年水俣保健所に患者発生の届け出があり、水俣病の公式確認がなされます。1958年、新日本窒素肥料(50年に社名変更)、水俣湾に注ぐ工業排水路を湾外の流路に変更。汚染地域が不知火(八代)海全域に拡大します。1959年熊本大学研究班が病因を有機水銀と発表。新日本窒素肥料と水俣病患者家庭互助会が「見舞金契約」(死者30万円、成人10万円、子ども3万円、追加補償なしなど)を結びます。1963年熊本大学研究班が病因を魚介類摂取によるメチル水銀中毒と発表。1967年公害対策基本法が成立。1968年チッソ(65年社名変更)水俣工場がアセトアルデヒドの生産を中止。国が水俣病と新潟水俣病を公害病に認定。1969年石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』(第1部)刊。
 以後今日に至るまで、水俣病患者の戦いの歴史は続くのですが、このテキストでの「はじめにで」は、「『苦海浄土』とは何か」と述べています。著者の若松英輔はとにかくこの『苦海浄土』を絶賛しています。本文中でもさらに多くの人が絶賛していることが伝えられています。
 それに引きつられて読みすすんだ私は、自分の考えを真っ向から変えなければならないと思いました。人はそれぞれ苦しみや悲しみをもっています。それに向き合うこころを変えなければいけないと思いました。こころが相手のこころと、触れ合っていなければいけないということです。丁度9月1日より、仕事から離れられることになりました。自分と向き合うことができる時間も増えていくと思います。自分と丁寧に向き合うと同じように他人とも丁寧に向き合っていく決意の日になりました。
 「100分de名著」月曜日の夜から始まります。どの部分で自分を変えたのか丁寧に確認していきたいと思います。
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