「水俣病」
2016/09/08(Thu)
 『日本残酷物語 現代編1 引き裂かれた時代』 (平凡社版・350円・昭和35年11月30日発行)の中に収録されている、石牟礼道子著「水俣病」を読みました。
 この本は、夫が若いころ、『苦海浄土』を買って読むまえに、石牟礼道子という人を最初に知った経緯について、一生懸命思い出し、アマゾンでこの本を探し出し確認して、やはりこの本だったと注文して届いたものです。この本にどのように出会ったのかと訪ねると、夫は、出版されてすぐにではなく、高校1年生のとき、広島大学付属病院に入院していたとき、大学病院の前の本屋で、いただいていた御見舞いのお金で、少し立ち読みして買ったのだと申します。
 この本を読んで、変わったか?と訪ねてみました。100分de名著のテキストで『苦界浄土』を読みすすんだ私は、《自分の考えを真っ向から変えなければならないと思いました。》と記録しました。そのあとテレビで100分de名著を視たとき、若松英輔氏は、やはり、番組の最初で、古本屋の店先で100円で売られていた『苦海浄土』を求めて読み自分が変わったと言ったので自分だけではないのだ!と、強烈に心に残ったからでした。夫は自分も変わったと述べました。
 390ページあるこの本のなか「水俣病」は約13ページしかありません。
狂う漁民・工場側の主張・猫における観察・臓腑をしゃぶる者と、4つの見出しで昭和28年ころから水俣湾の湯殿、茂道、出月、月の浦などの漁業部落に、中枢神経をおかされて狂い死にする原因不明の奇病が発生した。と、話を起こし、29年には13名、30年には8名、31年には43名。31年5月にまず、患者をあつかってきた熊本県立水俣保健所、私立病院、新日本窒素工場付属病院、市当局などで、「水俣病対策委員会」が設けられ、つづいて8月に「文部省科学研究所水俣病総合研究班が組織され、34年7月中間報告として、病因は「水俣湾内でとれる魚介類にふくまれるある種の有機水銀が有力である」と発表されました。と手短に書かれていますが、この本がアマゾンから送られてくるまえに入手した『苦海浄土』では、まず新日本窒素工場付属病院の細川一医師がカルテに始めて書き入れた49歳男性柳原直喜の報告書からはじまり次々に患者がふえ、柳原直喜が亡くなったとき、さらに次々起こるのではないかとの予感、保健所へ報告、31年8月29日第1回厚生省への報告などの詳しい内容をよみすすんでいたので、『日本残酷物語』の13ページでどの程度伝えられるのかと思っていましたが、この本が35年の発行で、『苦海浄土』が出版された昭和44年に比べ、事件の意味が社会的に掌握できづらい時期であったことが確認できます。
 34年12月下旬、会社側は排水浄化装置を完成し、不知火沿岸36漁協にたいして漁業補償1時金3500万円、立上り融資6500万円を出すことにしたが、漁業保証金のうちから1千万円は、11月初めの「漁民乱入」で会社が受けた損害補填金として差し引き返済させ、・・・・・・・。というように、今では考えられないような補償内容をようやく取り付けたあとで、この原稿を仕上げた35年6月、残り少ない紙面での原稿の最後のほうで、6月、水俣病が最初に発生した月の浦部落でまた新患がでたにもかかわらず、生活苦に追い詰められた漁民達は、水俣病の恐ろしさにおびえながら、死の海に、生きるために毒魚を食う、そのために舟を乗り出してゆくと結んでいます。この『日本残酷物語』では、社会の闇のルポルタージュとして描いていますが、若松英輔氏は『苦海浄土』は、文学の根源的な精神を表象する「詩情」の結晶であると述べています。
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コメント
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 水俣病を取材した写真集を見た記憶があります。
様々な大事故、大事件、裁判沙汰になった事柄も、よほど強く意識し続けないと、過去の記憶として葬られてしまいますね。
数日前に此方に伺いましたが、即座にコメント差し上げることが出来ませんでした。今朝やっと少し時間にゆとりが生まれ、読み返すことが出来ました。
「『日本残酷物語 現代編1 引き裂かれた時代』 (平凡社版・350円・昭和35年11月30日発行。」
 ご紹介の本は読んでおりませんが、石牟礼道子氏の人物像には少し記憶があります。昭和35年と申しますと、私は未だ二十歳にもならず、働きながら演劇活動をしていた頃ですが、この本を読んでみたいものです。
「水俣病」というものの残酷さはあの頃にようやく、社会に認知され出したのだと思いますが、結婚前の私の関心事ではありませんでした。その一方で、其の後の歳月の中で児が生まれ、後にサリドマイド薬害がクローズアップされ、歯の痛み止めにもその種の薬が入っていたのでした。ここには詳しく書けませんが、当時歯痛止めを飲んだ私は、胎内に於ける児への影響と、其の後の三年に及ぶ児の治療に苦闘したのでした。
 あまりに遠い記憶となりましたが、薬害や公害、鉛や砒素の中毒、等々と、時代の進む中で如何に多くの人命が軽んじられ、苦しめられたのか、時代は流れ流れても、決して忘れるものではありません。水俣病に侵され寝返りも出来ない女性の姿が今も瞼に浮びます。
 仏教的に此の世とあの世を想うことは殆どないのですが、かかわった運命が人を奈落と浄土へ引き分けるような不条理は、数々見聞きして来たような気が致します。
フクシマもしかりで、数メートルの距離で進められた帰還不能地域と帰還可能危険区域、今では無理にも帰還させようとする政治力が蠢いていますね。
 あかね様の読書力に導かれ、読めなかった幾冊かの本を引き出しています。これからの涼気を身体にも取り込み、新鮮な気持ちで読書を進めたいと思う次第です。
2016/09/11 11:50  | URL | みどり #-[ 編集]
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 みどりさんからの図書で社会問題を知るきっかけになり、考えさせられたことは沢山ありました。
 このたび、この衝撃的な公害の本を読むと、女性は、人生のあらゆる時の社会問題に平均的に触れるには、忙しすぎるということをつくづく感じます。
 この『日本残酷物語』では、執筆者は大変多くて31人、でも誰がどの記事を書いたかは明らかにされていません。それほど闇に閉ざされいて、告発するものに当局の目が厳しいゆえの編集だったということのようです。
 たまたま広島のことについて、今堀誠二という広島大学の先生の記事と思える部分を読んで興味を持ち、石牟礼という人については、珍しい名前なので記憶に残っていて後年『苦海浄土』を買ったのだそうです。そのとき買った本と同じものがアマゾンで手に入っています。さらに、そのあと、2回出版されて、4回目のを図書館で借りて今読んでいます。同じ病状の人が次々亡くなるなかで、モノが掴めなくなる患者の気持ちを「世の中から離れてゆこうごたる」という部分では、私も難聴になって、人の中にあって、人の言葉が聞き取れず、一人浮いているような気持ちになっているときの思いは、魂の叫びとしては、このように表現すれば、人に気持ちが伝えられるのかとその表現の巧みさに驚きを感じます。
 あす、夜10時25分から教育テレビ100分de名著で2回目の放映があります。
 みどりさんも詩を読まれる方なので、ぜひ見ていただけたらと思います。視れなかったときの案内もさせていただきます。
 
2016/09/11 22:00  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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あかね様
 12日の夜10時25分ですね。
ご紹介ありがとうございます。幸い夕刻からは予定が入っておりませんので、忘れず視聴致します。
あけね様の感じた事柄を、私がどれだけ捉えられるか楽しみです。頓挫している「読書会」の友がおります。時折り連絡しあい、お互いの思うままに語り合えた時節を思い出します。
 ありがとうございました。
2016/09/12 11:26  | URL | みどり #-[ 編集]
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