『苦海浄土』
2016/09/16(Fri)
 石牟礼道子著 『苦海浄土』 を読みました。
 手元に石牟礼道子著 『苦海浄土』の第1部が2冊あります。
 1冊は、講談社から1969年(昭和44年)1月に発行されたのと、図書館で取り寄せていただいた講談社文庫の1972年(昭和47年)12月に発行されたのと2冊です。どちらもすこぶる版を重ねています。
 図書館で借りてきた文庫本のほうを優先して読みます。
 そして、さきに出版されたものと比べてみますと、「あとがき」のあと、「改稿に当って」で、
 《白状すればこの作品は、誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの、である。
 このような悲劇に材をもとめるかぎり、それはすなはち作者の悲劇でもあることは因果応報で、第2部、第3部執筆半ばにして左目 をうしない、他のテーマのこともあって、予定の第4部まで、残りの視力が保てるか心もとなくなった。視力より気力の力がじつはもっ とも心もとないのである。
  ことのなりゆきから、死者たちへの後追い心中のごとき運動の渦中にも、出没せねばならぬ破目におちいったが、第1部は、改稿の時間的ゆとりのまったくないまま出版の運びとなり、以来そのことがかなしくて、恥じ入ることこの上もなかったけれど、このたび装をあらため、文庫本にしてくださるに及び、ここと悪かった箇所をいくらか手直しできる機会を得た。・・・・。》とあります。

 作品は、話すこともできなくなった水俣病患者に出会い、その患者の苦しみ、魂の叫びを汲み取って、私小説風に、あるいは特殊な現代詩風にかかれた部分と、たとえば、熊本医学会雑誌に掲載された、「猫における観察」であったり、最初にこの病気の原因に気づいた医師のカルテであったり、厚生省への報告書であったり、定例の水俣市議会の議事録であったりとこの問題が顕在化していく過程の時々の推移を知ることのできるそういった資料とが入り混じっています。

 言われてみれば、読み始めて、なかなか読みすすめないまま、読んだ部分が私も打ち寄せる波のように、押し寄せてはひいてゆきます。
 100分de名著の著者もテレビで何度も言われていたように、なかなか読みすすむことのできない本です。水俣病の問題は、普遍の問題ですともいわれているとおり、福島原発の抱える問題とも、そして、いま報道の渦中にある築地市場の問題とも変わることはありません。また、この問題は、第3者がいませんともいわれていたように、私たちも、近代化によって派生するところのものの恩恵にあずかって生活する以上、第3者ではないのです。
 そのことによって被害をうける人たちをどのように考えていったらいいのでしょうか。その答えが見つからない悲劇から読者である私たちも逃れられないのです。
 そんな、進められていく近代化の闇と真っ向からむきあってしまう本です。
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コメント
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 おかげ様で12日の夜10時25分から、 ご紹介下さった「100分で名著」忘れず視聴致します。ありがとうございました。
『石牟礼道子・著 苦海浄土』には、人生に於ける逃れがたい因縁というようなものが漂っているように感じました。作者が仏教を身内に修め、そこから自ずと湧き出す感性と筆力が合い混じって、読者の心を打つように思いました。
 深山あかね様ご夫妻が長い歳月を超え、今日に於ける問題と結んで、再び「苦海浄土」を手にしていることも、単なる偶然ではなく、必然と言えると思います。その上にも、「苦海浄土」が何であり、どのような書物か知らずにいた私や多くのブログ読者へ、作者との橋渡しをなさいました。
作者の人生を賭けたような作品は、長き時代を超え、更に多くの方々に読みつがれ、今も広がりを見せているような感があります。先日テレビでの解説男性は、たしか40代そこそこでしたね。
 作者も水俣病の疾患者も、なべて第三者といういうような傍観者的態度や存在を許さないというような、何処か怖さを秘めた作品ではないかと。私も手元に置いて読んでみようと思います。
最初に、あかね様の記事で著書名を知りましたが、その際には「苦界浄土」と読み間違え、仏教がかり的な作品と思い込み、素通りという感じでした。
ほんとうは「苦海」苦しみの海と、人間社会だったようですね。
その後次第に、此の言葉と内容が少しずつ解り、ようよう本を取り寄せる考えに到りました。
 出版の時期が違うと前書きや後書きが新たになり、作者や推薦者の気持ちの違いなども解るのですね。
あかね様の熱心な読書には及びませんが、改めて本を読み込むという姿勢に教えられています。
2016/09/16 10:36  | URL | みどり #-[ 編集]
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 みどりさんが視聴してくださったことがうれしいです。
 創業者が、工業排水となったメチル水銀化合物が有害であることを知らないはずがなく、それでもこのようなことが次々に始められることが、近代化をおしすすめるめる巨大資本家の「棄民思想」であると書かれていることが充分うなずけますよね。
 どういう形であれ、そのなかに誰もがいつのまにか組み込まれてしまう悲哀を感じます。
 解説者の若松英輔氏は、100分de名著ではキリスト教徒の『内村鑑三』の解説もされた人だったので、以前テレビで視たことがあると感じたのでした。
 読み終わって、今日図書館に返してしまって名前がわからないのですが、最初に、石牟礼道子氏に執筆を依頼した編集者の解説もすばらしかったです。
 しかし、この本がこれだけ読まれていることを知ると、近代化によってなにが失われていったのかをおおくの日本人が真剣に心に留めていることに深く頭が下がる思いでした。
 英傑としては時代を切り開いた人たちの話が残りますが、日本国中、その在所には、それらによる闇の部分に苦しんだ人たちの墓標があるということを遅まきながらやっと知ったのです。
2016/09/16 20:49  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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