『石牟礼道子』 椿の海の記
2016/09/27(Tue)
 石牟礼道子 著 『石牟礼道子』椿の海の記 を読みました。
 日本図書センター発行 人間の記録104 『石牟礼道子』 椿の海の記となっています。
 読みはじめると、ハード本にもかかわらず、字が小さくて2度くらいひどい頭痛におそわれ、そのたびに2日くらい中断して、ロキソニンの世話になりました。
 第一章~第十一章までありますが、それぞれが幼児のときの回想録になっています。
 幼児といえば、まだ言葉もほんの少ししか知りません。
 この幼児だった自分のことが、五十歳前に書きつづられたのです。
 この筆法は、『苦海浄土』とおなじです。
 『苦海浄土』、この物語の主人公は“言葉を失われた人々”です。水俣病は人間からしゃべる機能をいちじるしく奪う病で、そういう人の言葉にならない思いをすくいあげて書いた文学作品です。
 それと同じように、この『椿の海の記』は、片言しかしゃべれない自分の幼児時代、水俣の海や川や山や道路や草や木や虫や、そして父、母、母の妹の叔母、祖父や気違いの祖母、また祖父の愛人やその子ども、自分の家の家業を手伝いにくる従業員のお兄さんや小母さん、近所の子どもやおとなたち、そんなものの織り成す風景やひとびとの営みが、認識されていくにつれ、感じ取るであろう自分たち家族にむけられる哀れみや侮蔑や差別。いっそ、自分が草であったり、虫であったり貝であったりしたほうがそういったものから救われるのではないかと心をそれらに寄せる思いに託したりして丁寧に描いてゆきます。
 《「ほう、今日はこれだけの草畠ば片づけた。うつくしか畠になったぞねえ」うつくしか畠になった、とか、草山のちらちらするとか、磯の浜の巻貝(ビナ)どもが目にちらちらするなどというくらいがこの姉妹の関心になった。おもかさま(気違いの祖母)が発狂する前後のことはもう、忘れたねえといい、孫のわたしにくらべれば、いっきょに生身で、奈落の境涯におちたのだから、世間の目は、幾度もその生身をなぶりつづけたにちがいなかった。この姉妹は自分から進んで人にまじわるところがなくて、ことに妹の方は離人的傾向がある。まぶたにちらちらするのは、草山になった畠やうつくしか畠ばかりではあるまいに、花鳥風月や里芋のみじょか子などの世界にさえいれば、いちばん気にも合い、心やすらぐようになってしまったにちがいない。・・・・草や土と等しいものになって生きられれば、それがいちばん安らかにちがいなかった。
 わたしは椿の木陰を追って、青い薬缶の底に手を当ててみては、土の冷たいところ、冷たいところへと、その薬缶と茣蓙とを引っぱってゆく。
 「やあ、みちこが、冷たか水にしといてくれたね、ありがと」》
 といった調子です。
これは、『苦海浄土』で、水俣病というような未曾有の問題が起こった以上新しい表現がほしかった。現代詩ではない詩のつもりです。と語ったという、その筆法です。
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