ヘンデルとグレーテル
2016/10/06(Thu)
 夜、Yさんがきて、一緒に夕食を食べました。

 Yさんは、14年生まれで、西区の田方のほうの出身で、おなじ西区の己斐出身の夫とよく話があいます。
 「草津に大きな映画館があったよねー。」「うんあったあった」って感じです。

 「父が仕事に出かけているあいだに、母親がよく連れて行ってくれて、姑の祖母に母親は結構いやみをいわれていた。」と彼女がいったので、
 「私のうちは核家族だったので、必ず家族5人で、夜学校などに映画を見に行っていた。いや私が末っ子だから、私が物心ついてからは家族全員だったのかもしれないけど・・・・。それで、わたし、昔から家にあった本をひとりで読んでいて、そのなかのはなしに、詳しくは覚えてないけど、両親が子どもを捨てようと話し合い、父親が薪かなにかを取りに行こうといって、どこかの島へ、舟で男の子を乗せて出かけるのよね、それで、それぞれが違った場所で薪拾いか何かをしていて、お父さんがこっそり、子どもを島において帰ってしまうのよね。
 母親は、そのことがわかっているので、そのまえの夜、男の子の着物の襟に籾を入れて縫い付けておくのよ。男の子は島に取り残されて、お父さんを探すのだけれどいなくて、仕方なくその米の籾を植えて育て、だんだん耕作地を増やしていって島で暮らすっていう話だったと思うけど。それを読んでいたので、私は夜道をあるいて映画を見に行くときは必ず最後を歩いて、親を監視していたのよ。」と話しました。
 すると彼女は、父親が袋町小学校の教師だったというだけあって、外国のお話の本も多くあったのでしょう。
 「私のところは母親がしゃれた人で、『ヘンデルとグレーテル』の話なんかしてくれていたのよね。その話を聞いたあと、父親がよくきのこを採りに山へ連れて行ってくれたのだけれど、きのこのしろが近づくと、あんたはここで待っていなさいというのよね。自分はそのまま置き去りにされるのではないかとこわくなって、大きな声で父親を呼ぶのよね、そうしたら、父親がきのこのしろが人に知れるから大きな声をしたらいけないというのでよけいに怖くて怖くて・・・・。」と話されます。

 彼女が話しおわったとたん、私たち夫婦は大笑いをしました。
夫に、そのまえ、広島ラフカディオ・ハーンの会でならった、バラッドの「酷い母」について報告したり、その音楽を聴いたりしたあとだったからです。
その後、私たちがやたらおかしかったそのわけをわかってもらうために、会で習ったバラッドの話を彼女にしました。
あんがい『ヘンデルとグレーテル』のはなしは、バラッドから思いついた話かもしれないねと3人で話しあったことでした。
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