『いくたびか死線を越えて』
2008/02/06(Wed)
金大中著『いくたびか死線を越えて』を読む。

金大中本人が書いた本人の大統領就任までの自叙伝のようなものである。
金大中は1998年2月に大統領に就任するが、この本はその年の4月に出版されている。

金大中には大変興味はあるが、本人の書いたものはどうかという危惧もなくはない。

≪あるとき、この丘(彼の生まれた荷衣島の丘)から遥か彼方に、日本の軍艦が数隻浮かんでいるのを見たことがある。
大きい船といってもせいぜい10数トンに過ぎない漁船だけをみてきた私にとって、その軍艦はとてつもなく大きく驚くばかりであった。
「ああ、日本って大した国だな!」
日露戦争たけなわの頃、荷衣島の向かい側の玉島に日本の連合艦隊司令長官東郷平八郎元帥が軍艦に乗って現れたと、大人達から聞いていたためかもしれない。
同時に憂鬱にもなった。
「どうして自分達の国にはあんな軍艦がないんだろう。」
それは私の羨みだったし悲しみでもあった。≫

この文章に出会ったとき朝鮮半島の不幸な歴史に日本も大きくかかわっていることは否めない。
金大中自身が書いた本であれなんであれ読んでみることとする。

読み終わって、私は日本の統治時代の終焉くらいまでの記述や、つい最近の『冬のソナタ』から始まって一連の韓流ブームの本は読みまくり、黛まどかの『サランへヨ』などの軽い最近の韓国の旅行記なども読んだ記憶はあるが、その間の50年くらいがしっかり抜けていたことに気づかされる。

韓国のその50年くらいは北朝鮮となんら変わらない状況の連続であったのかもしれないと思い知らされる。

高句麗・新羅・百済・任那から引き継いでいる「恨」。
本当につい最近までいや今だってそうなのかもしれない。
NHKの「ハングル講座」でもこの「恨」についての予備知識なしに韓国文化は理解できないような内容の解説によくいきあたる。
金大中は本の中で、自分の苦難に追いやられた状況について、帝国日本でもここまでは酷くなかったと記している部分もある。

韓国のこの50年の民主化の困難を思うとき、何かの本に書かれてあったことを思い出す。
民主主義、デモクラシーを実現するためには国民にモラルがなくてはいけない。
国民がモラルを持つためには教育が大切である。
モラルをはぐくむための教育には膨大な金が掛かる。
お金をかけないでデモクラシーは難題である。
独裁は金が掛からないと。

金大中がアメリカの大学の学長と議論をしたことについて書かれてある。
「こんなにアメリカの大学で民主化について学んだ留学生達が、国に帰ると、どうして国では独裁者の側に立つのであるか」といったことについてであっる。そのあたりでも民主化の困難さがよく分かる。

また、金大中は、ドイツを何度も訪ねて民族併合の研究をしている。
いま大きく韓国は南北併合という難題を抱えている。

南北の距離は日本よりももっともっと近いのに。

「恨」はいつまでつづくのであろうか。

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