『大橋鎮子』
2016/10/26(Wed)
 株式会社三才ブックスが2016年4月15日発行の 『大橋鎮子』 花森安冶と創った昭和の暮らし を読みました。
 NHK連続テレビ小説のヒロインになったモデルの人をシリーズで特集しているなかの1冊のようです。
 全112ページのなかで、人物ファイル『暮しの手帖』に関わった人たち を扱った41ページから64ページまでの24ページ以外はすべてに薔薇の花の絵が大きく描かれている何とも華やかな雑誌です。
 大橋鎮子と花森安冶が出会って、雑誌を作るようになるまでの経歴がていねいに述べられたあと、ついに出会いの場面で花森の思いが語られています。
 《「君はどんな本をつくりたいのか、ぼくはまだ知らない。だがひとつだけ、やりたいことがある。それは人々をあの怖ろしい戦争に巻き込むようなものは作りたくないということだ。戦争があそこまで泥沼化したのは、皆が自分の生活を大切にしなかったからだ。男たちが家庭を省みなかったから、生活が無茶苦茶になってしまった。だからぼくは、女性のためになにかしらのかたちで償いたいと思う」
 こうして花森は鎮子と力を合わせ女性のための新雑誌をつくることになったが、その背景には贖罪の意味も込められていた。大戦中の花森は、大政翼賛会の一員として戦争の旗を古。そこには「一度戦争が始まってしまったからには、勝利で終わらなければならない」という気持ちがあった。しかしそれが結果的に人々の生活を苦しめることにつながったのだ。その責任の重さを実感した花森は雑誌をつくることで、せめてもの償いにしようとしたのである。》
 このなかで、皆が自分の生活を大切にしなかったの部分を、先に読んだ『花森安冶』の、「僕らにとって8月15日とは何であったか」という彼のエッセイのなかで、具体的に語っている部分があります。
 《戦争を起こそうというものが出てきたときに、それはいやだ、反対するというには反対する側に守るに足るものがなくちゃいかんのじゃないか。つまりぼくを含めてですよ。この前の戦争が始まったとき、自分の土地なく、自分の家ないわけでしょう。借家ですよね。サラリーマンであったらほとんど貯金はない。なにを守ろうとしますか。それで大東亜共栄圏だとか、悠久の大儀だとか、男子はなんとかのために死ねなんていわれると、やっぱり血がかっかとしてくる。これがある程度土地をもち、ある程度自分の家があり、そのなかにある程度執着があり、そうとうでなくても貯金なりなんなりがあると、ちょっと考えるだろう。日本にはそれがあった連中が、それをふやすために戦争をしたともいえるでしょう。それで一般のわれわれは、それがなかったから簡単にごぼう抜きだ。抜く必要もない、浮いておるんだから、こっちへこっちへ寄せてくれば掬い取られてしまう。風呂のアカみたいなものだった。》です。
戦後生まれの私たちには、ここらの部分が、よくわからなかったけれど、やはりそうなのだ。と思える部分がありました。現代においては、若い人たちのなかには、社会のなかへ、自分の存在をつなぐことができていると実感できている人がすくなくやはり、掬い取られてしまうのではないかとおもえます。     
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