『フリーメイソンの秘密』
2016/11/07(Mon)
 2010年3月 株式会社レッカ社発行 『フリーメイソンの秘密』を読みました。
 秘密、といえばよけいに知りたくなるのが人情です。長い間、フリーメイソンに関する本があれば・・・と思っていたのですが、先日古本屋で見つけ早速買ってきました。
 まずは、日本とフリーメイソンの関係についてつよく興味があります。日本人でフリーメイソンといえば、西周、鳩山一郎くらいしか知りませんでした。
 この本によると、日本人初のメイソンは、帰国後、現在の東京大学の源流とされる開成所の教授として明治政府の近代化に貢献した、西周と津田真道になっており、日本初のロッジ活動は、横浜の外国人居留地で行われています。
 薩長同盟や、江戸城無血開城は、フリーメイソンのグラバーやバークスの筋書き通りに進められたこと。また、グラバーは三菱財閥の相談役として、メイソンの人脈で巨万の富を手に入れ、三菱財閥では、その人脈はグラバー亡きあとも受け継がれていったこと。
 実はそんなことより前に、語学力と造船知識を武器に、幕府とアメリカとの仲介役として日米和親条約の平和的締結に大きな役割をはたしたジョン万次郎もフリーメイソンで、フリーメイソンのペリーの通訳としての働きも、フリーメイソンの力なくしては考えにくいと述べられています。
 意外だったことは、明治政府では、結社や集会の自由が認められていなかったために、自分たちの儀礼や集会の内容を外部に公表しない、という原則を持つフリーメイソンのような組織が自由に活動を行える状況にはなく、1897年頃メイソンの代表者と、「フリーメイソンは日本人と接触しない。日本人を加盟させない。日本人への宣伝活動も行わない」という密約協定を交わしていたということでした。
 そして、戦後では、ダグラス・マッカーサーの手引きによってメイソンに加入する政治家が多く鳩山一郎もその一人だったのです。もともと連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)員のほとんどが、メイソンだったと言われていることから、戦後日本の青写真はフリーメイソンが描いていたと述べられています。
 ちなみに、戦後の、日本人のフリーメイソンで有名な人としては、佐藤尚武(駐ソ大使)、三島通陽(ボーイスカウト日本連盟の総長)、高橋龍太郎(大阪麦酒社長)、東久邇宮稔彦王、幣原喜重郎、吉田茂などがいるということです。
 フリーメイソンのシンボルでもある「万能の目」をあちこちで見ていると、ルドンの絵に描かれた目、靉光の絵に描かれた目、ラフカディオ・ハーンの怪談で映画化された「雪女」にでてくる目について想像をたくましくしてしまいました。
スポンサーサイト
この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
<<吉野ヶ里遺跡に行ってきました | メイン | 第195回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録>>
コメント
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
トラックバック
トラックバックURL
→http://yamanbachindochu.blog106.fc2.com/tb.php/915-8ab55cdc

| メイン |