吉野ヶ里遺跡が考えさせること
2016/11/22(Tue)
 吉野ヶ里遺跡では、いったいこの頃の人々は何を食べていたのだろうか?と疑問を持ちます。
 「南のムラ」と名づけられたところで、地元の御婦人らしき人々6人くらいで、当時の食文化を体感しようとされているのでしょうか、抜いたソバを集めて実をちぎっておられました。少し白い花もくっついています。北に行くと赤い花のソバもありますよ。と教えてくださいました。まわりには稗が刈って束ねて干してありました。
 木が大きく育ってこんもりとした林になっているところでは、ドングリがたくさん落ちています。夫が食べてみようというので、むいて食べてみましたがしぶくてすぐに吐き出しました。じつは、私は今年、生まれてはじめてどんぐりを食べました。裏山に登りはじめるとすぐ出会った国広さんが、炒ってみたんだけどといってくださいました。「止められない止まらない」と、いつもの最終地点に到着するまで食べていました。前日、みんなで拾って、調理を国広さんに任せられたようでした。みんな次々もらって美味しそうに食べられました。その日ひろったのは私が湯がいてみようと、伊藤ふくお著『どんぐりの図鑑』を見ます。まず、水につけて、浮いている虫食いか古いのは捨てるとあります。美しいどんぐりばかりでまさか捨てるのはないと思ったのですが、5分の1くらいを捨てました。この図鑑では最後に、アク抜きをしないでも食べられるどんぐりを紹介してあります。クリ・スダジイ・ツブラジイ・マテバシイ・イチイガシ・シリブカガシ・ブナ・イヌブナ・コナラ・ナラガシワ・・・。私たちが拾ったのはスダジイとツブラジイです。湯がいてみましたがそれではむいて食べようがないので後で炒って食べました。炒っただけが美味しいとの皆さんの感想でした。
 吉野ヶ里をさらに歩いていると、きれいな野生らしき鳥に出会いました。夫が鶉だと教えてくれました。鶉のたまごも食べていたでしょう。そういえば鳥居があって、これがほんとの鳥居ですと、木製の鳥が3羽止まっているのと、しばらく歩いて2羽止まっているのがありました。止まった鳥をカシワだといったかもしれません。カシワの葉に乗せられたお供え物、カシワデを打つ、とカシワという音について考えてしまいます。集落を取り巻く濠にも鴨がいました。そのなかに魚もいたでしょう。また蜂が巣を作るでしょう。椎葉村では蜂の幼虫を食べたと聞きました。
 食べ物についての説明が展示場のどこかにあったのかもしれませんが、それには出会えず、一人あれこれ考えています。
 今日は、昼から吉野ヶ里遺跡発掘いぜんに、この時代がどのように考えられていたかを、暁教育図書の『日本の歴史』第1巻古代の豪族を読み返しています。
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コメント
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「私、読む人、あなた、書く人」で、ブログでの報告は、霞さまが担当されているのだとばかり思っていました。

「暁教育図書の『日本の歴史』第1巻古代の豪族を読み返しています。」
やっぱり・・・。
次も楽しみにしています。
2016/11/24 16:40  | URL | 花てぼ #ZjTFAI5c[ 編集]
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 「私、ナビゲーターを見る人、あなた、運転する人」で、強行した旅の疲れが今ころでて、今日は昼から爆睡していました。

 熊本から、吉野ヶ里遺跡へ向かう途中、道の駅で、竹かごに野菜や、花や、手作りのアクセサリーなどを入れた、竹のかごがたくさんありました。愛想のいいお店の人に、このかごはなんといいますか?と聞くと、「さあ」といわれ、「もしかして花てぼと言いませんか?」とたずねると、「ああ、そういえば子どものころ、てぼって言っているのを聞きました、花を入れる人は花てぼと言ったでしょうね」といわれ、「ブログ名に自分の名前を花てぼにされてる人がいて、素敵な人でずいぶん人気ですよ・・・・」などと話しました。役割をになって、あちこちに置かれているお店は親しみやすくずっといたいような気持ちでした。
2016/11/24 20:08  | URL | 深山あかね #-[ 編集]
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